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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※大日寺ではいただけません

だいにちじ|東寺真言宗黒巌山(こくがんざん)

大日寺

徳島県 板野駅

開門/6:00~17:00 
納経所/7:00~17:00

投稿する
088-672-1225

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり

真ん中に梵字と大日如来、左下に大日寺と書かれ、右上に四国第四番の印、真ん中に梵字の印、左下に黒巌遍照の印が押されています。

限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

鐘楼門手前 普通20台 マイクロ/大型5台(無料)

おすすめの投稿

よしくん
2018年09月10日(月)
594投稿

本日、5ヶ所目にして(おそらく)初めて住職さんに納経帳を書いていただきました。

納経所に神棚があったので質問してみると、そもそも土地の神さまがいるところにお寺を建てたという考えが真言宗の前提にあるので、神棚があるのは普通ですよ、とのことでした。
境内に祠のような神社もあり、最近、屋根もつくったと仰っていました。

大日寺の山門

立派な山門と思ったら、今年の4月に建て替えられたそうです。

大日寺の建物その他

木のいい香りがしました。

大日寺の周辺

やはり、歩いていると山門が見えた瞬間が高まりますね。

大日寺の周辺

五番から四番に登る途中、休憩所がありました。疲れてなかったけど、座って黄昏てしまいました。

大日寺の建物その他大日寺の周辺

わかりやすい看板。全体的に修繕などが進められている印象を受けました。

大日寺の本殿

本堂。

大日寺の仏像

修復された仏像ち

大日寺の本殿

大師堂

大日寺の末社

こちらが屋根を建てたという祠です。八幡さまが祀られているそうです。

大日寺の建物その他

16時半頃にお参りしたのですが、掃除された後だったようで、美しかったです。

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歴史

徳島と香川県の県境にある阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70m前後の尾根の緩斜面上に南向きに伽藍が配置されている。
弘仁6年(815)に弘法大師がこの地において大日如来を感得し、一刀三礼をして1寸8分の大日如来像を彫造したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。
元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631-1701)では、かっては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月の経過とともに、荒廃していた、と記されている。その後 応永年間(1394-1428)に松法師という人物に夢の託言があって修復がなされたという旨が『阿波史』文化12年(1815)に記されている。その後、また荒廃したが徳島の二代目藩主、蜂須賀忠英が慶安2年(1649)に材木を寄進し、本堂一宇を建立して以来、天和(1681)・貞享(1688)までに再興されている。その後も元禄5年(1692)に五代目藩主蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799)に11代目藩主蜂須賀治昭がそれぞれにこれを修復して、今に至っている。また、この地は三方を山に囲まれており、黒谷と呼ばれていることから、地元では「黒谷寺」と呼び習わされることもあった。三号である黒巌山の由来もこのことに因んだものとされる。現在、京都の東寺の末寺としてあるがそれは明治20年以降のこと。それ以前は真言宗御室派に属していた。僧堂(庫裡)の熨斗瓦や入口の透かし欄間に寺紋の十六菊紋が見受けられる。

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大日寺の基本情報

住所徳島県板野郡板野町黒谷5
行き方

3【金泉寺】より
(自家用車)約15分 約7km
(徒歩)約1時間30分 約5km
5【地蔵寺】より
(自家用車)約10分 約2km
(徒歩)約25分 約2km

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名称大日寺
読み方だいにちじ
通称黒谷寺
参拝時間

開門/6:00~17:00 
納経所/7:00~17:00

トイレ納経所の手前
御朱印あり

真ん中に梵字と大日如来、左下に大日寺と書かれ、右上に四国第四番の印、真ん中に梵字の印、左下に黒巌遍照の印が押されています。

限定御朱印なし
電話番号088-672-1225
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://dainichiji-temple.com/
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詳細情報

ご本尊大日如来
山号黒巌山(こくがんざん)
院号遍照院(へんじょういん)
宗旨・宗派東寺真言宗
創建時代弘仁6年(815)
開山・開基弘法大師
札所など

四国八十八箇所 第4番

文化財

阿波遍路道 大日寺境内(国の史跡)
「大日寺」(板野町指定史跡)

ご由緒

徳島と香川県の県境にある阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70m前後の尾根の緩斜面上に南向きに伽藍が配置されている。
弘仁6年(815)に弘法大師がこの地において大日如来を感得し、一刀三礼をして1寸8分の大日如来像を彫造したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。
元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631-1701)では、かっては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月の経過とともに、荒廃していた、と記されている。その後 応永年間(1394-1428)に松法師という人物に夢の託言があって修復がなされたという旨が『阿波史』文化12年(1815)に記されている。その後、また荒廃したが徳島の二代目藩主、蜂須賀忠英が慶安2年(1649)に材木を寄進し、本堂一宇を建立して以来、天和(1681)・貞享(1688)までに再興されている。その後も元禄5年(1692)に五代目藩主蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799)に11代目藩主蜂須賀治昭がそれぞれにこれを修復して、今に至っている。また、この地は三方を山に囲まれており、黒谷と呼ばれていることから、地元では「黒谷寺」と呼び習わされることもあった。三号である黒巌山の由来もこのことに因んだものとされる。現在、京都の東寺の末寺としてあるがそれは明治20年以降のこと。それ以前は真言宗御室派に属していた。僧堂(庫裡)の熨斗瓦や入口の透かし欄間に寺紋の十六菊紋が見受けられる。

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