たいりゅうじ|高野山真言宗|舎心山(しゃしんざん)
太龍寺徳島県 桑野駅
7:00~17:00
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
21番 太龍寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
21番 太龍寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
21番 太龍寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
21番 太龍寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
21番 太龍寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
21番 太龍寺。
憧れの四国八十八霊場巡り 3日目の続きです。
21番札所のお寺です。
ロープウェイに乗ってお参りするため 少し遠足気分になってしまいました。
ロープウェイ駅までは車で川沿いの少し細い道を走りました。
駅で少々待ちますが本数は少なくなく 待ち時間もお買い物で紛れます。
まあまあな人数と山を登ります。
途中 日本最大と言われる鉄塔を越える時 少しだけジェットコースター気分を味わえます。
舎心嶽の岩上に大きな大師像が見られ 修行姿をイメージさせてくれました。
山上の駅に到着すると 目の前には 本堂に続く階段が現れます。
108段あると言われましたが これ 煩悩の数ですよね。
いやぁきつかったです。登り切ったところで本堂ですが 息が切れて切れて。
本堂の上部は彫刻がとても見事です。
本堂内陣は 格子になっており 内側が真っ暗になっていて見えませんでした。
本堂から右手に進むと 多宝塔・大師堂・護摩堂・弁天堂・中興堂・鐘楼門など必見の建物が多くあります。
どちらも歴史を感じる素敵な建物ばかりです。
多宝塔はまるで岩の上に建っているのではないかと思うような感じに見えます。
大師堂は 本堂に負けないぐらいの彫刻が見事です。
ぐるっと一周すると どうやら物語になっているようです。
内陣を見ることもできますが 写真は後ろからのものしか映りませんでした。
夕方前という時刻と天候のせいだと思うのですが ライトの明かりがほんのりオレンジで 素敵に見えます。
境内にはお地蔵様や石仏・観音様など 小さなものも含めて多く見ることができます。
落雷のために折れたのか 大木が途中で切れるように折れていました。
寺務所では 運良くご住職に御朱印を書いていただきました。
(後でご住職の写真をお見掛けして あぁっ と思ったので 勘違いの可能性あり)
境内をぐるっと回るだけで1時間ほどかかります。
ロープウェイから見えた舎心嶽の大師像を見に行く道もあるようですが 悪天候で危険そうだったので止めました。
帰りのロープウェイは 少しの間 雲の中を進みました。
いやぁ この山を登山しての参拝など 私には考えられません。
山号は舎心山
院号は常住院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は虚空蔵菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん あり きゃまり ぼり そわか
ご詠歌:太龍の常にすむぞやげに岩屋 舎心聞持(もんじ)は守護のためなり
でした。
歴史と由来については
「西の高野」とも称される。
四国山脈の東南端 標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。
樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ 境内には古刹の霊気が漂う。
延暦12年(793年)に桓武天皇の勅願によって阿波の国司・藤原文山が伽藍を建立 堂塔が建立され 空海が虚空蔵菩薩像などを刻み安置したと伝えられている。
弘法大師が19歳のころ この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で 100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは 大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており よく知られている。
虚空蔵求聞持法は 真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で 大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。
縁起によると延暦12年 桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され 弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し 開創した。
山号は修行地の舎心嶽から また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。
皇室や武家の尊信が厚く 平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。
だが 「天正(1573〜92)の兵火」からは逃れられなかった。
また 江戸時代になっても幾たびか罹災し 荒廃の途を余儀なくされているが その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。
仁王門は鎌倉時代の建立で 他の堂塔は江戸時代以降に復興している。
四国巡礼者にとって 屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。
徒歩では 中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。
1,200年のむかし 大師の修行時代をしのばせる迫力 風格をそなえた古刹である。
とありました。
ロープウェイ駅
青 と 黄 がありました
日本最大級の塔
岩上の大師像 見えますか
山上駅の目の前に 柱門
手水舎
本堂に続く階段 108段らしい
本堂
鐘
あいにく格子で内陣が見えにくい
持仏堂の天井絵
本堂まわり
納経所から大師堂に向かう途中に鐘楼門があります
下から見上げた
大師堂手前の橋
大師堂
こちらも格子なのですが 中は見えます
彫刻 ストーリーがありそう
同上
同上
同上
ライトがほんわか照らす
大師堂内陣を後ろから
多宝塔 岩の上に見えます
別角度で多宝塔 やっぱり岩の上に見えます
多宝塔正面
弁財天堂
中興堂
御影堂
大木が。。落雷か
修行大師像
相輪橖
霧というより雲の中を進む
雲がすごい勢いで流れていきます
下には加茂谷川
住所 | 徳島県阿南市加茂町龍山2 |
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行き方 | 20【鶴林寺】より
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名称 | 太龍寺 |
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読み方 | たいりゅうじ |
通称 | 西の高野 |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 納経所の向い |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0884-62-2021 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
阿波秩父観音霊場 第10番 | 御詠歌: 武士の 武き心も 後の世を 願うているや 弓張の月 |
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四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
ご本尊 | 虚空蔵菩薩 |
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山号 | 舎心山(しゃしんざん) |
院号 | 常住院(じょうしゅういん) |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 延暦12年(793) |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 阿波遍路道 太龍寺道、阿波遍路道 かも道、阿波遍路道 いわや道、阿波遍路道 平等寺道、阿波遍路道 太龍寺境内(国の史跡)
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ご由緒 | 「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。 皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573〜92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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