たつえじ|高野山真言宗|橋池山(きょうちざん)
立江寺徳島県 立江駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 普通30台(300円) マイクロ5台(1000円) 大型6台(1000円) |
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
19番 立江寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
19番 立江寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
19番 立江寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
19番 立江寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
19番 立江寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
19番 立江寺。
憧れの四国八十八霊場巡り 3日目の続きです。
19番札所のお寺です。
別格本山だけあって見どころ満載です。
仁王門の仁王様は現在修復中で不在でした。
境内は建物が密集しており あまり歩かずに多くを見られます。
まず右手に多宝塔。
その奥には毘沙門堂・黒髪堂・白杉大明神・いろいろ地蔵さんがあります。
正面には本堂。
天井絵がとてもすてきです。
ご本尊も見ることができます。
本堂左手には観音堂と護摩堂。
こちらの内陣も見ることができます。
やはり仏様を直接見ることができると有り難く思います。
秘仏はそれはそれで良いですが やはりねぇ。
奥の院があることを知らず もったいないことをしてしまいました。
山号は橋池山
院号は摩尼院
宗旨宗派は高野山真言宗
寺格は別格本山
ご本尊は延命地蔵菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:いつかさて西のすまいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の船に乗りていたらん
でした。
由緒についてはHPに
当山は人皇45代聖武天皇の勅願寺という格式をもった名刹であり 天平19年(西暦747年)に行基菩薩が光明皇后のご安産の念持仏として勅命により閻浮壇金の1寸8分の本尊「延命地蔵尊」-世にこれを子安の地蔵尊と称し奉る-をお作りになり伽藍を建立開基されました。
伽藍建立の地を卜するにあたり 一羽の自鷺が何処ともなく飛んできまして九ツ橋(現在の自鷺橋)の上に止まり 行基菩薩に仏天の暗示として霊城を示したと伝えられています。
弘仁6年(西暦815年)に弘法大師が四国八十八ケ所霊場をご開創になられます時に 当山にご留錫なされ 行基菩薩のお作りになりました1寸8分の小像では後世になって紛失してしまうおそれがあるとお考えになり 御自ら一刀三礼をなしまして6尺に余る大像を刻まれ かの小像をその御胸に秘収安置されまして当山を「立江寺」と号し 第19番の霊場とされました。
この当時の当山は 現在地より西へ400mはなれた現在の奥の院のあるところに 境内地三町四方を有する巨刹であったと伝えられています。
天正年間に四国制覇をめざした長曽我部氏の兵火にあい ご本尊を残して灰燼に帰しましたが 阿波藩主蜂須賀家初代蓬庵公のご帰信が篤く 藩命によりまして現在の地に移転再興されました。
とありました。
山門(仁王門) 仁王様は不在でした
石柱
修復中
修復中
縁起
鐘楼
役目を終えた玉垣
毘沙門堂
毘沙門天
聖龍美観音
多宝塔裏の石仏
多宝塔
多宝塔内陣
大師堂
大師堂内陣
神変堂(神変大菩薩を祀る祠)であり 庚申堂であり
不動明王像
黒髪堂
白杉大明神
修行大師像
一願龍
本堂
本堂内陣
本堂の天井絵 東京藝術大学教授ら40名余が描いた286枚の格天井画
彫刻も見事です
さすが芸大教授の作品
生徒もかいたのかな
観音堂
観音堂内陣
護摩堂
護摩堂内陣
納経所
駐車場でお昼にしました
移動式のラーメン屋さん
住所 | 徳島県小松島市立江町字若松13 |
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行き方 | 牟岐線 立江駅下車 (0.4km)
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名称 | 立江寺 |
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読み方 | たつえじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 仁王門の横 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0885-37-1019 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@tatsueji.com |
ホームページ | http://www.tatsueji.com/ |
SNS |
阿波七福神霊場 第3番 | 御本尊:毘沙門天 御詠歌: 魔を降す 猛き姿に ひきかえて 情にあまる 福徳の神 |
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四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
ご本尊 | 延命地蔵菩薩 |
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山号 | 橋池山(きょうちざん) |
院号 | 摩尼院(まにいん) |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 天平19年(747) |
開山・開基 | 行基菩薩 |
文化財 | 絹本着色釈迦三尊像(重要文化財) |
ご由緒 | 高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願で行基菩薩によって創建された。勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。弘仁6年(815)、弘法大師が当寺を訪れ、このご本尊を拝した。大師は、あまりに小さなご本尊なので、後世になって失われる恐れがあると、自ら一刀三礼をして新たに像高1.9メートルもある大きな延命地蔵像を彫造され、その胎内に行基菩薩が彫ったご本尊を納められた。このときに寺名を「立江寺」と号した。当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地にあって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。 「天正の兵火」(1575〜85)では立江寺も逃れられず、壊滅的な打撃を受けた。だが本尊だけは奇しくも難を免れている。のち、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。また、昭和49年の祝融の災にもご本尊は救い出されている。昭和52年に再建された本堂の格天井画(286枚)は、東京芸術大学の教授等により花鳥風月などが描かれており、観音堂の絵天井とともに昭和の日本画を代表する文化財であると高く評価されている。寺伝の「釈迦三尊図」は、国の重要文化財指定品である。 邪悪な心を裁く関所寺の半面、「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と親しまれている。 |
体験 | 御朱印宿坊お守り重要文化財札所・七福神巡り |
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