法話と天井絵の寺 観音寺の日常(303回目)|徳島県立道駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年05月26日(金)
令和5年は弘法大師空海が生まれて1250年となります。高野山では5月14日から毎週日曜日に全国から真言宗の僧侶が集まり法会を行っています。
高野山を開く前は弘法大師空海は東寺の住職でした。弘法大師空海は嵯峨天皇から東寺を賜り住職となりました。東寺の境内と壁を隔てて建てられている大師堂と御影堂は、弘法大師空海が当時実際に起居していたところです。ここで講堂建築のの構想を練ったり、自著をしたためたりしていました。
弘法大師空海は高野山を開く前には京都の東寺に本拠地を置き、密教を弘めるために策を練り、奔走したのです。
身は高野 心は東寺に おさめをく 大師の誓い 新たなりけり
弘法大師空海は、高野山を開いた後も東寺と高野山を往復していたのでしょう。
その道筋で出会った人々に、水なきところに井戸を掘り、橋なきところに橋を架け、道なきところに道を付け、貧しきものには食を与え、病む者には良医となられました。
祈りなき行動は「妄動」であり、行動なき祈りは「妄想」に過ぎない。
弘法大師空海の言葉が身にしみます。
病を患う方に向けて護摩祈祷を行うことが多くなりました。妄想にならないよう、護摩祈祷という行動をコツコツと積み重ね、できる限りのことをいたします。
どうか仏さまに病気平癒の願いが叶いますように。
合掌
高野山を開く前は弘法大師空海は東寺の住職でした。弘法大師空海は嵯峨天皇から東寺を賜り住職となりました。東寺の境内と壁を隔てて建てられている大師堂と御影堂は、弘法大師空海が当時実際に起居していたところです。ここで講堂建築のの構想を練ったり、自著をしたためたりしていました。
弘法大師空海は高野山を開く前には京都の東寺に本拠地を置き、密教を弘めるために策を練り、奔走したのです。
身は高野 心は東寺に おさめをく 大師の誓い 新たなりけり
弘法大師空海は、高野山を開いた後も東寺と高野山を往復していたのでしょう。
その道筋で出会った人々に、水なきところに井戸を掘り、橋なきところに橋を架け、道なきところに道を付け、貧しきものには食を与え、病む者には良医となられました。
祈りなき行動は「妄動」であり、行動なき祈りは「妄想」に過ぎない。
弘法大師空海の言葉が身にしみます。
病を患う方に向けて護摩祈祷を行うことが多くなりました。妄想にならないよう、護摩祈祷という行動をコツコツと積み重ね、できる限りのことをいたします。
どうか仏さまに病気平癒の願いが叶いますように。
合掌
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
ホトカミの投稿一覧
法話と天井絵の寺 観音寺の
限定御朱印の最新情報を
メールで受け取ろう