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法話と天井絵の寺 観音寺の日常(301回目)徳島県立道駅

九度山の地名はなぜついたのか?

投稿日:2023年05月19日(金)
高野山を囲む八つの峰の一つに九度山町というところがあります。
ここには弘法大師空海の母が、子を思い高野山を遠く眺めることのできる場所に草庵を立て安否を祈ったといわれる場所です。

弘法大師空海の母は、弥勒菩薩を信仰しておまつりしていました。日々手を合わせていたといいます。
女人禁制のお山「高野山」は、冬は雪に閉ざされて僧侶たちも山を下りました。僧侶たちの宿泊所であり、事務的な窓口でもあった九度山。

なぜ、「九度山」という地名が付いたのでしょうか。

高野山の開創に着手したのは、弘仁七年(西暦816年)のことです。今から約1200年前です。
都の喧噪を離れ、静かに修行できる場所を見つけ、道なき道を切り開き高野山に寺院を建てます。行き来に不便だけでなく、資材の運搬にも支障来すような場所でした。

弘法大師空海の名が広まるにつれ、雑務に忙しく高野山の事業は一向に進みませんでした。それでも高野山にこだわり続けた弘法大師空海。病気のうわさもありました。

その頃、弘法大師空海の母は80歳を超える長寿でありました。遠く讃岐国(現在の香川県)から我が子を心配して辿り着いたのが九度山でした。女人禁制である高野山への玄関口であり、大師の姿を遠く見ることができそうな場所でした。

弘法大師空海も、人の子です。母が近くに来ていると知り、居ても立っていおられなかったのでしょう。弘法大師空海は月に9回、20数キロの道のりを往復して母に会いに行ったと言われています。

決して平坦な道ではありません。アップ・ダウンのある山道を歩いて通いました。現在ではハイキングコースとなっていますが、片道10時間かかります。山野で修行した弘法大師空海にとっては難無くこなしたことでありましょう。

母への思いが「九度山」という地名に込められているのです。

すてき

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