法話と天井絵の寺 観音寺の日常(294回目)|徳島県立道駅
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投稿日:2023年03月31日(金)
もうすぐ5月の節句です。男の子の成長を祝う行事です。
今は見かけることが少なくなりましたが、あちらこちらに空高く鯉のぼりが泳いでいました。
私が幼い頃に、大きなこいのぼりが買えなかったので母が申し訳程度にベランダ鯉のぼりを買って据え付けました。ベランダ鯉のぼりでは風がないので泳いでくれず、からまってばかりで面白くありませんでした。
私が「鯉のぼりじゃない!」と母に文句を言っても「仕方ないでしょ」と言われました。その通りなのですが、子ども心に寂しかったことを覚えています。
相手の心に寄り添うことは、できているようでできません。
特に幼い子どもは使える言葉が少ないのでなおさらです。知っている言葉を駆使して伝えようとしますが、分かってもらえない。その腹立たしさは、イライラで表現してしまいます。
親は鏡なので、イライラした子供の態度に腹を立ててしまう。
「してはいけない」と思っても怒ってしまう。子どもは「分かってもらえない」という寂しさだけが残ります。
親は苦い思いがいつまでも続きます。「子どもを分かってやれなかった」
子を持つ親になって、やっと分かることがあります。
「怒ってはいけない」と親は我慢ばかりしていると、心を病んでしまいそうになります。
せめて、子どものしたいことをさせてやらなくてはと親は無理を押し通します。
お互いに良くないと知りつつも、子どもの我慢と親の無理を通そうとする悪循環にはまってしまいます。しかし、子どもの寝顔を見ていると天使のようです。「また、子どもの心の声を聞いてやろう」と思います。
弘法大師空海も「全ての男性は父であり、全ての女性は母である。全てのひとが両親であり、師君である」と説きます。親であれ、子であれ、私たちに教えてくれているのです。
もっと親も子も心の声を聞いてみましょう。ささやき声かもしれないけれど、耳を澄ませてみましょう。心が病まないように心の声を聞いてみましょう。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。
今は見かけることが少なくなりましたが、あちらこちらに空高く鯉のぼりが泳いでいました。
私が幼い頃に、大きなこいのぼりが買えなかったので母が申し訳程度にベランダ鯉のぼりを買って据え付けました。ベランダ鯉のぼりでは風がないので泳いでくれず、からまってばかりで面白くありませんでした。
私が「鯉のぼりじゃない!」と母に文句を言っても「仕方ないでしょ」と言われました。その通りなのですが、子ども心に寂しかったことを覚えています。
相手の心に寄り添うことは、できているようでできません。
特に幼い子どもは使える言葉が少ないのでなおさらです。知っている言葉を駆使して伝えようとしますが、分かってもらえない。その腹立たしさは、イライラで表現してしまいます。
親は鏡なので、イライラした子供の態度に腹を立ててしまう。
「してはいけない」と思っても怒ってしまう。子どもは「分かってもらえない」という寂しさだけが残ります。
親は苦い思いがいつまでも続きます。「子どもを分かってやれなかった」
子を持つ親になって、やっと分かることがあります。
「怒ってはいけない」と親は我慢ばかりしていると、心を病んでしまいそうになります。
せめて、子どものしたいことをさせてやらなくてはと親は無理を押し通します。
お互いに良くないと知りつつも、子どもの我慢と親の無理を通そうとする悪循環にはまってしまいます。しかし、子どもの寝顔を見ていると天使のようです。「また、子どもの心の声を聞いてやろう」と思います。
弘法大師空海も「全ての男性は父であり、全ての女性は母である。全てのひとが両親であり、師君である」と説きます。親であれ、子であれ、私たちに教えてくれているのです。
もっと親も子も心の声を聞いてみましょう。ささやき声かもしれないけれど、耳を澄ませてみましょう。心が病まないように心の声を聞いてみましょう。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。
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