法話と天井絵の寺 観音寺の日常(217回目)|徳島県立道駅
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投稿日:2022年04月15日(金)
觀音寺にまつわる話を書き留めておこうと思います。
觀音寺にまつわる88話#3
変遷 その2
1602年に開かれた觀音寺は幸いにも高僧に恵まれ、霊験あらたかと信仰を集めていました。
觀音寺に伝わる話によると、鳴門市木津町の長谷寺(ちょうこくじ)で出家し觀音寺の住職となり、後に香川県の大本山善通寺(現在の四国霊場 75 番札所)へ栄転された方もいました。また、長岸出身の住職も2名います。
しかし、自然災害には勝てず宝永五年 (1709 年)に吉野川の大洪水により觀音寺の境内が陥没してしまいました。その後、100 年ほど記録が途絶えてしまいます。
境内陥没から 125年後の天保四年(1834 年)3月に第十二世觀音寺住職の阿闍梨曇龍(あじゃりどんりゅう)上人が現在地に寺院境内を移転し、本堂を再建しました。
喜びもつかの間、20 年後の嘉永7年(1854 年)
11 月に安政の南海大地震が発生し、觀音寺は瓦が重かったため本堂が倒壊してしまいました。
続く
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせるよう祈念しております。
觀音寺にまつわる88話#3
変遷 その2
1602年に開かれた觀音寺は幸いにも高僧に恵まれ、霊験あらたかと信仰を集めていました。
觀音寺に伝わる話によると、鳴門市木津町の長谷寺(ちょうこくじ)で出家し觀音寺の住職となり、後に香川県の大本山善通寺(現在の四国霊場 75 番札所)へ栄転された方もいました。また、長岸出身の住職も2名います。
しかし、自然災害には勝てず宝永五年 (1709 年)に吉野川の大洪水により觀音寺の境内が陥没してしまいました。その後、100 年ほど記録が途絶えてしまいます。
境内陥没から 125年後の天保四年(1834 年)3月に第十二世觀音寺住職の阿闍梨曇龍(あじゃりどんりゅう)上人が現在地に寺院境内を移転し、本堂を再建しました。
喜びもつかの間、20 年後の嘉永7年(1854 年)
11 月に安政の南海大地震が発生し、觀音寺は瓦が重かったため本堂が倒壊してしまいました。
続く
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせるよう祈念しております。
すてき
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