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じょうらくじ|高野山真言宗盛寿山(せいじゅざん)

常楽寺
徳島県 府中駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内手前 普通約10台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第14番

おすすめの投稿

くるくるきよせん
2023年11月13日(月)
1292投稿

憧れの四国八十八霊場巡り 3回目に出かけました。
四国八十八カ所霊場巡り 14番札所のお寺です。
本堂裏側まで車で行けました。
裏側から入りましたので 山門まで回ってきちんと参拝し直しました。
びっくりしたのが地面です。いや 岩です。
境内の地面の8分の1ぐらいが岩なのです。
表面に出ていない岩もあるはずなので 岩盤を削っているはずです。
こんなに岩の多い山頂にお寺を建立するとはすごいです。
200年ほど前に建てられたと伝わる本堂や薬師堂は見事で これほどの建物を山頂に建てた信仰心には感服です。
山号は盛寿山
院号は延命院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は弥勒菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まいたれいや そわか
ご詠歌:常楽の岸にはいつか到(いた)らまし 弘誓(ぐぜい)の船に乗りおくれずば
でした。

由緒については
寺伝によれば 空海(弘法大師)がこの地で修行をしていた際に 弥勒菩薩が多くの菩薩を連れた姿を感得した。
そこで霊木に弥勒菩薩を刻み堂宇を建立して本尊として安置したという。
空海の甥に当る真然僧正が金堂を建立 祈親上人が講堂 三重塔などを建立し七堂伽藍の大寺院となったと伝える。
天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失。
万治2年(1659年)に徳島藩主蜂須賀光隆によって 現在地より下った谷間に再興された。
文化12年(1815年)に元の山上への建て替えを願い出て 3年後 低地の谷間から石段を50段ほど上った現在地に移転した。
とありました。

常楽寺(徳島県)

石柱門

常楽寺(徳島県)

手水舎

常楽寺(徳島県)

境内全景

常楽寺(徳島県)

寺務所

常楽寺(徳島県)

大師修行像

常楽寺(徳島県)
常楽寺(徳島県)

鐘楼

常楽寺(徳島県)

流水岩 と言うらしい

常楽寺(徳島県)

流水岩 と言うらしい

常楽寺(徳島県)
常楽寺(徳島県)

本堂

常楽寺(徳島県)

アララギの木

常楽寺(徳島県)

薬師堂(だったかな)

常楽寺(徳島県)

大師堂

常楽寺の地蔵
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to_sun
2023年05月09日(火)
157投稿

【盛寿山(せいじゅざん)延命院(えんめいいん)常楽寺(じょうらくじ)】
本尊:弥勒菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師
 常楽寺は四国霊場で唯一、弥勒菩薩を本尊とする札所。かつてこの地で修行していた弘法大師(774-835)のもとに弥勒菩薩が現れ、大師がその姿を彫って本尊としたのが由来となっている。その後、三重塔や仁王門が建立されて大寺院となったが、長宗我部元親による天正の兵火により焼失した。江戸時代に再建され、低地から現在の高台に場所を移している。
 本堂のそばにアララギ(イチイの木の別称)の霊木がある。台風で倒れかけたようで倒木回避の伐採も影響しているのか残念な様相になっている。

常楽寺の建物その他

【14_T.Hamada's view】
 本堂

常楽寺(徳島県)

【14_流水岩の庭園】
 むき出しの岩盤が、永年の風雪による浸食で波を打っている独特の風景が特徴「流水岩の庭園」と呼ばれている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

常楽寺(徳島県)

【14_流水岩の庭園】

常楽寺(徳島県)

【14_本堂】

常楽寺(徳島県)

【14_大師堂】

常楽寺(徳島県)

【14_境内へ上がる階段】
 山門はなく、寺号を記した石柱が迎えてくれる。石柱に刻んだ「第十四番常楽寺」の書体がいい。

常楽寺(徳島県)

【14_龍の手水舎】

常楽寺の像

【14_アララギ大師】
 アララギ(イチイ)の巨木の枝の間に弘法大師像が祀られている。

常楽寺の御朱印
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常楽寺の基本情報

住所徳島県徳島市国府町延命606
行き方

徳島バス 神山線(延命経由)・天の原西線「常楽寺前」下車(0.3km)
13【大日寺】より
(自家用車)約10分 約3km
(徒歩)約40分 約2.5km
15【国分寺】より
(自家用車)約5分 約1km
(徒歩)約10分 約1km

アクセスを詳しく見る
名称常楽寺
読み方じょうらくじ
参拝時間

7:00~17:00

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号088-642-0471
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊弥勒菩薩
山号盛寿山(せいじゅざん)
院号延命院(えんめいいん)
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代弘仁6年(815)
開山・開基弘法大師
札所など

四国八十八箇所第14番

文化財

本堂、大師堂(国の登録有形文化財)
絹本着色 降三世明王像、絹本着色 薬師三尊十二神将像(市指定文化財)

ご由緒

四国霊場のなかで唯一、弥勒菩薩を本尊としている。弥勒菩薩は56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である。とくに京都・広隆寺の国宝で、片膝を立てて頬を右手でささえ考える半跏思惟の弥勒像は、そのやさしいお顔の表情が美しく、お大師さまとともに光明を授けてくれるような仏といえよう。縁起では、弘法大師が42歳の厄年のころ、この地で真言の秘法を修行していたときに、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたという。大師はすぐに感得し、そばの霊木にその尊像を彫造し、堂宇を建立して本尊にした。この本尊について大師は、御遺告の一節に「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし。56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべし…」と触れられていることからも、常楽寺への篤い思いが偲ばれる。

後に、大師の甥・真然僧正が金堂を建て、また高野山の再興で知られる祈親上人によって講堂や三重塔、仁王門などが建立されて、七堂伽藍がそびえる大寺院となった。室町時代には阿波守護大名の祈願所にもなっているが、「天正の兵火」により焼失し灰燼に帰している。だが、江戸時代初期には復興、後期の文化15年(1818)に低地の谷地から石段を約50段のぼった現在地の「流水岩の庭」近くに移っている。奇形な岩盤の断層が重なる「流水岩の庭」。自然の美しさにとけ込む魅力を醸し出す。

体験御朱印札所・七福神巡り

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