かさいしじんじゃ
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楽しみ方笠石神社のお参りの記録一覧
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社務所のベルを鳴らすと宮司が現れました。
御朱印を受ける間に徳川光圀公の功績を諸々と伺い、
また多様な大学生がバスで研修に来るほど貴重な石碑である事を聞かされ、
しかも国宝!これは見ずに帰れない。
拝観料500円支払うと、宮司による特別講義を受けることに。
石碑について
①日本三古碑の一つで、書道史や歴史的に重要な価値を持つ、7〜8世紀の飛鳥・奈良時代に建立された3つ。他に群馬県高崎市の多胡碑、宮城県多賀城市の多賀城碑
②当時の那須国造であった那須直韋提(なすのあたいいで)は、大化の改新後に国が解体され、郡(こおり)に変わった際の那須郡を評督という官人に就いて治め、西暦700年に没。その功績を讃え、その子、意斯麻呂(おしまろ)が建碑したもの
③ 郡評論争(ぐんぴょう)は、大化改新646年から大宝律令701年までの地方行政の単位が評(こおり)だったか郡(こおり)だったかをめぐる論争。1960年代の木簡出土により、701年まで「評」が使われていたことが確定したが、それを裏付ける資料にもなった
④書体は北魏の書風で日本一美しいという専門家が多い。
⑤ この碑は、ながく草むらに埋もれていたが、馬頭地区(栃木県の一部)を訪れた領主・光圀公が知ることとなり、文化財保護と調査を進め、その重要性を知り、1691年、堂に石碑を御神体として祀ったのが当社の起源である
⑥光圀は御神体の那須国造碑が誰の墓碑かを求め1692年に上・下侍塚古墳を発掘、日本初の学術的発掘とされる。「日本考古学発祥の地」記念碑はそのため
書ききれませんが、大学生がここに来るのは、宮司の講座に価値があって来てるのだと思いました。
素晴らしい講座を独占できたのは幸せなことでした。
本殿の中にある石碑を拝見しましたが、横から当てられたライトによって文字が浮き出るように見えました。
また美しい文字でした。
私が茨城県人であることから親切にして頂いたように思います。
たいへんお世話になりました。
帰りは足元に咲くフクジュソウを愛でて帰りました。



3年前にお参りしてから、いつの間ににか『黄門様が守った日本一美しい古墳。』のキャッチコピーを掲げて、那須国古代ロマンプロジェクトが立ち上がっており、立派な石碑も出来上がっていました。
宮司さんにお会いすることが出来、たくさんの資料も頂きました。

日本考古学発祥の地
古墳時代から飛鳥時代に移る頃の国造碑には地方豪族げ官人へと転身して行く様子が書かれています。
また、中国の年号や書体が使われていることから、中国からの渡来人の文化を受けていたことがわかります。
そんな重要な碑はいつしか忘れ去られ、草むらに放置。そして約千年後にとある僧に見つけられ、その噂は黄門様まで届き、「助さん、ちょっと調べて来なさい」と命じ、碑堂を建てたり、古碑の解明をしたり、近くの上下侍塚古墳の発掘を始めた、、
これが、日本の考古学発祥の地と言われる由縁なんですね。
立派な碑が建っていました。


「に」 日本最古の国造碑
と下野かるたで読まれる、国宝 那須国造碑を御神体とする笠石神社です。
祭神は、那須国造碑に書かれている那須国造「那須直韋提(なすあたえいれ)」
ここが日本考古学発祥の地と言われてるのは、水戸黄門(またかよw)が、近くにある上・下侍塚古墳を、韋提とその息子の意志麻呂の墓なんじゃね?(;・`ω・´)と推測して、助さんが日本初の学術的な発掘調査を行ったから。
結局、古墳の被葬者はわからなかったのですが、遺物は全て埋め戻して古墳を末永く保護するように命じたとこのと。
ここに来たのは2回目で、前回は来たのは昨年のお盆。
その時に国造碑を見せてもらい、宮司さんに詳しく説明も受けてたのですが、遺憾ながら御朱印始めるちょっと前だったので今回再訪しました。
昨年来た時に、国宝だけではなく世界遺産登録も目指していろいろ活動してると説明してくれました。
残念ながらこういうご時世なのでまだ夢は叶わぬようですが、世の中が落ち着いたらぜひ世界遺産入りして欲しいものです(^o^)
ただ・・・
私的に思うに、碑文の内容がちょっと地味なんだよね(^^;
那須直韋提に対する息子の意志麻呂の表敬文。
つまり辺境の豪族の息子が「ウチのオヤジSUGEEEE!」ってヨイショしてるだけの内容なのでwww
何か歴史的事件でも書かれていればもっと有名になっていたのではないかと思うのですが・・・
(それでも書道史、古文献学、国語学などの史料としては非常に貴重なものだそうです)

栃木県のおすすめ2選🎎

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