しんきょう
神橋(二荒山神社)栃木県 東武日光駅
見学時間:4月~10月 午前8時30分~午後4時
見学時間:11月~3月 午前9時30分~午後3時
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 日光市上鉢石駐車場 |
お盆休みを利用して日光山内の二社一寺を巡りました。 輪王寺、日光東照宮、そして日光二荒山神社は平成11年(1999年)にユネスコ世界文化遺産の「日光の社寺」として登録されていて、日光にはいつかは訪れたいと想いつつ、今回念願叶っての初来訪です。 「神橋」は日光二荒山神社の建造物の一つで、日光山内の入口に架かる朱塗りの美しい反橋です。 橋下に流れるのは、中禅寺湖を発して華厳の滝を流下し日光市内へと流れ出る大谷川で、神橋の赤い欄干と大谷川の青い清流とのコントラストは溜息が出る程の美しさでした。 伝説によると天平神護2年(766年)、勝道上人(しょうどう しょうにん)は二荒山(男体山)の登頂を試みるも大谷川の激流に徒渉する術なく難儀します。 この苦境に上人は護摩を焚いて神仏に加護を求めたところ、川の北岸に一人の神人が現れて「我は深沙大王である。汝を彼の岸に渡すべし」と言いながら手に持っていた二匹の蛇を放ったとされます。 その二匹の蛇は忽ち川の対岸とを結び、その背には山菅が生えて橋となったので、上人は早速これによって急流を渡ることができたと云い、この伝説から、神橋は「山菅の蛇橋」とも呼ばれているそうです。 現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13年(1636年)の東照宮の大造替時で、嘗ては徳川将軍・日光例幣使と山伏しか渡れなかったそうですが、現在では拝観料を払えば誰でも渡ることができます。 とは言うものの橋は一方通行で、橋を通っては対岸へと行けない造りとなっています。 神橋の北端の行き止まりまで行って国道122号を挟んで見える深沙王堂の小さな祠に掌を合わせました。
日光二荒山神社/神橋・景観
日光二荒山神社/神橋・景観
日光二荒山神社/神橋・入口鳥居
日光二荒山神社/神橋・景観
日光二荒山神社/神橋・橋姫明神
日光二荒山神社/神橋・深沙王堂
日光二荒山神社/神橋・大谷川を望む
「日光の社寺」の石碑
御朱印
「神橋」は、二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋。奈良時代の末に勝道上人が日光山を開く際、大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めたところ、深沙王(じんじゃおう)が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説を持つ神聖な橋です。別名、山菅橋や山菅の蛇橋(じゃばし)とも呼ばれています。現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13(1636)年の東照宮の大造替時。残念ながら、明治35(1902)年にそのときの橋は洪水で流されてしまいましたが、明治37(1904)年に再建され、日本三大奇橋の1つに数えられています。
神橋」は、二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋。
奈良時代の末に勝道上人が日光山を開く際、大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めたところ、深沙王(じんじゃおう)が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説を持つ神聖な橋です。
別名、山菅橋や山菅の蛇橋(じゃばし)とも呼ばれています。
現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13(1636)年の東照宮の大造替時。明治35(1902)年にそのときの橋は洪水で流されてしまいましたが、明治37(1904)年に再建され、日本三大奇橋の1つに数えられています。
名称 | 神橋(二荒山神社) |
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読み方 | しんきょう |
通称 | 御橋(みはし)・山菅の蛇橋(やますげのじゃばし) |
参拝時間 | 見学時間:4月~10月 午前8時30分~午後4時
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参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | 渡橋料/大人300円、高校生200円、中小生100円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0288-54-0535(二荒山神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.shinkyo.net/index.shtml |
ご祭神 | 二荒山(男体山) |
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創建時代 | 伝766年(天平神護2年) |
ご由緒 | 神橋」は、二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋。
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体験 | 世界遺産御朱印 |
概要 | 神橋(しんきょう)は、栃木県日光市上鉢石町にある、大谷川(だいやがわ)に架かる朱塗りの橋。世界遺産「日光の社寺」を構成する文化財の1つ。日本の重要文化財に指定されている。 日光の社寺の入り口にあり、日光のシンボルとも、日光の表玄関とも称され、栃木県で最も美しい橋と讃える人もいる。神橋を境として、東側の商店街を東町(出町)、西側の日光山内を西町(入町)という。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寛永の架け替え以前[編集] 大同3年(808年)[1][2][3]、勅を受けた[1]下野国司・橘利遠が[1][2][3]山崎太夫長兵衛(橋掛長兵衛[4])に架けさせた[2]と伝えられ、以後16年に1度架け替えたとされる[1][2][3]。原初の橋はつる植物などを使った吊り橋のような姿であった可能性がある[5]。鎌倉時代の『八雲御抄』には「下野の山菅橋」の記載がある[2]。 神橋の実在がはっきりと確認できる文献記録は室町時代に現れる[6][7][8]。当時は一般庶民だけでなく、牛馬も渡っていた[2]。また、両岸からはね出す刎橋(はねばし)であり[1][3]、右岸(南岸)の刎...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「神橋」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E6%A9%8B&oldid=102231862 |
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