じふくいん|真言宗豊山派|薬王山
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慈福院について
平将門の守り本尊と伝わる薬師如来のあるお寺。
開基も平将門と伝わるが、宿敵の藤原秀郷による開基説も伝わる。
栃木県のおすすめ2選🎌
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藤岡駅近くの三つのお寺、二寺目です。
実は何気にここ、平将門公ゆかりのお寺だった!Σ(; ゚Д゚)
将門公の開基で、守り本尊だったという薬師如来まで伝わってる!
・・・ですが、ご由緒に書いたように別伝がありまして。
別伝に出てくる「滝口小次郎相馬将門」 これ自体は「尊卑分脈」に出てくる将門公の別名らしいので問題はないようですが、この説だと年代が合わない。貞観元年(859年)だと将門公が生まれるより数十年前になってしまう(-ω- ?)
さらに全く逆の藤原秀郷公の開基という説も出てきた(゜Д゜)ポカーン
二番目の説に出てくる足利家綱は、以前佐野の孫太郎神社で取り上げた怪力士家綱で秀郷公の後継。
この時に寺を再建したのも藤姓足利氏=佐野氏の人物なので、むしろ秀郷公に関わりが深いお寺のような気もしますが・・・どうなんでしょうね?(-ω- ?)
当時は怨霊とか真面目に信じられてた時代だから、先祖が討ち果たした強大な敵の祟りを恐れて、供養のために将門公開基の寺を再建したのかも?
ちなみにお寺の案内板に採用されてるのは二の説で「平将門」「藤原秀郷」といった名前には直接触れず、「滝口小次郎相馬将門」開基で、藤姓足利氏も深く関わってるという感じの、どちらとも受け取れる折衷案を採用してるようですw
このお寺も日本百観音、四国八十八ヶ所のお砂場があるのですが、御覧のようにここのお砂場は禹歩のように仏足石を踏む方式で、これが楽しくて全部やってたら(子供か(^^;) その間にお寺の人が車でどこかに出掛けてしまった・・・ orz
あぁ、またこのニアミスパターンで受印できずか(>_<)と落胆したものの、ダメ元で庫裏に声掛けしてみたところ意外にも住職在宅で無事に受印することができました。(出掛けたのは副住職か御家族だったらしい)
御住職も暖かい感じの良い方でした♪
梵字入りの不動明王の御朱印がいただけました♪
駐車場は境内横で、真の入口は少し先の方に
参道には多数の灯籠が並ぶ
山門近くの十九夜塔
朱塗りの山門
境内
正面に本堂、左手に将門公の守り本尊と伝わる薬師堂
右手には鐘楼
駐車場はこの向こう側です
まずは薬師堂の方から参拝
薬師堂前には日本百観音のお砂踏み場
ご覧のように仏足石を踏む形式、靴を脱いで踏んでください
薬師堂、観音様も祀られてるようです
旧鬼瓦
家紋が将門公の九曜紋でも、秀郷公の下り藤や藤姓足利氏の三つ巴でもなく、梅紋となんと菊水紋!Σ(; ゚Д゚)
梅紋は佐野氏が天神信仰篤かったのと、寺の沿革に大宰府の僧侶も出てくるので何となくわかるけど、楠木氏の菊水紋がなぜあるのかは謎(゜゜;)
慈母観音像と最上三十三観音のお砂踏み場
山形の観音霊場ですね♪
これはお砂場でも初めてなので、ありがたく踏ませていただきました(* ̄∇ ̄*)
四国八十八ヶ所と小豆島八十八ヶ所
小豆島八十八ヶ所も初めて♪
日本各地の霊場の功徳も積めるいいお寺だ(* ̄∇ ̄*)
左の角に古い石仏や石祠
本堂
屋根や香炉の紋も梅紋です
なんとお茶まで出していただきましたΣ(*゚Д゚*)
少し蒸し暑い日だったので非常にありがたかったですm(_ _)m
名称 | 慈福院 |
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読み方 | じふくいん |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0282-62-2267 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 《本尊》大聖不動明王 《薬師堂》薬師如来(伝 平将門守り本尊)・聖観世音菩薩 《諸尊》地蔵菩薩(合寺本尊 旧竜蔵院)・胎蔵界大日如来(合寺本尊 旧歓喜院) |
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山号 | 薬王山 |
院号 | 慈福院 (寺号)常楽寺もしくは浄楽寺 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 859年(貞観元年)滝口小次郎相馬将門説 932年(承平二年)平将門説 藤原秀郷説 |
開山・開基 | 平将門 (別伝)滝口小次郎相馬将門 (別伝2)藤原秀郷 |
ご由緒 | 承平二年(932)、平将門がこの地に浄楽寺を建立し、やがて廃寺となったが、後に再建されて慈福院と号したという。
【別伝】
【別伝】
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体験 | 仏像御朱印武将・サムライ伝説 |
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