すがじんじゃ
須賀神社のお参りの記録一覧
初詣へ行ってきました🙏
昨年の感謝をしっかりお伝えさせて
いただきました🙏
混み始める前に参拝することができ
ました☺️
太陽も上がり始めとても柔らかな
光をうけるこができワクワク🌟💫
末社へ参拝へ向かうと太陽に照らされた鳥居と天満宮に出会えました😊美しい
柔らかな光に包まれました🙏
太陽の柔らかな光がホッとしました😌
通り沿いに鳥居⛩️が見え、境内横に駐車場もある車でのアクセスがし易かったです。
拝殿横を回り込み、本殿裏側に多くの摂社末社があります。
駐車場近くの建物で御朱印やお守りを受けられます。
神域をお護りする随身門
広い境内に構えるお社
清々しいの語源が伺えます
お社裏手から本殿を(✧◡✧)
多くの末社
末社社号と神様
神文二つ巴
お参りしたい🙏と思い参拝させていただきました⛩
参道もゆっくり歩きながら散歩🚶♀️
気持ち穏やかになりました✨
夕陽と鳥居⛩
境内から浴びた夕陽からパワーいただきました🙏
参道をゆっくり歩き🚶♀️周りの風景や自然を感じました🍀
拝殿上空 雲ひとつなく柔らかな空気に包まれている感じがしました😌
ふと思ったら、今年登場の東武N100系“スペーシアX”(東武鉄道33年ぶりの新型特急)を、まだ見ていない。半年の邪気を祓ってない。という事で参拝してきました。
“小山評定”今年は、何かと徳川将軍家に興味を持ちました。
「大茅(ち)ノ輪」がお目見えしました。ヒノキの枠に取り付けられた円形の大茅ノ輪は直径4.8メートルで、氏子らが茅(ちがや)などを束ねて作った。参拝者がくぐってお参りすると、この半年の邪気がはらわれるとされる。
なんとなくスッキリした感じ、良い年が迎えられそうです。
手水舎
お正月の飾り付けもされてました。
初詣モードになっている拝殿。
本殿。
12月24日運行の“いちごスペーシア”。東武鉄道では栃木県誕生150周年を記念して、特急用車両100系スペーシア1編成に赤とピンクを基調とした塗装を施し、「いちごスペーシア」として運行を開始しました。
オリンパスE620
オリンパスE620
スペーシアX。鹿沼に伝わる組子や竹編み細工といった江戸の手仕事を思わせる、丁寧につくられた工芸品のような佇まいで大切なものを包み込んでいるかのようなフォルム。 カラーリングは日光東照宮陽明門・唐門・御本社に塗られた「胡粉(ごふん)」の白を彷彿とさせる高貴な白をイメージしています。(HP引用)D200
ニコンD200連写(秒間5コマ)の検証1/3。28~70㎜ズームの広角端。
目の前で見る迫力感。2/3。
3/3。秒間5コマではキツイ。
ニコンD200レンズを交換しました18~55㎜の広角端。連写検証1/3。
2/3
3/3
AF28~70㎜からAF-S18~55㎜にレンズ交換した。このレンズ軽い。広角の幅がだいぶ広がりました。中古で6千円位でした。
1/3オリンパスE620 連写の検証(秒間4コマ)
2/3オリンパスE620
3/3オリンパスE620
下り。D200 28~70㎜ズーム。
下り。E620
オリンパスE500。夕暮れ時は、スピードについていけない。
連写は新しいカメラほど良い事が判りました。連写して溜め込んだ画像をSDカード等々に書き込み速さが問題で、シャッター押し続けているとシャッターがキレなくなりました。
DAISO等々の安価なSDカード等々では、最近の高額カメラには向いていないのだろう?商売人は失敗が許されないから、それなりの機材を選ぶのが良く解る。
特急けごん
JR“きぬがわ号”新宿駅→鬼怒川駅。
オリンパスE620
特急リバティ
“りょうもう号”オリンパスE620
オリンパスE620
“けごん”。
オリンパスE500。連写検証1/2
2/2。オリンパスE500電車の撮影は無理そうだ。
オリンパスE620
車内外をいちごで装飾したラッピング電車「ベリーハッピートレイン」。E620
この撮影スポットは、真近で見れてテーブルも有りまして、ピクニック感覚で撮影出来ます。子供連れでも楽しめると思います。左側が東京方面(上り)右側が栃木方面(下り)東京方面は南側なんで逆光になります。
駐車場がありました。
綺麗な神社でした。
御神木の受難振りがちょっと可哀想でした。
社務所の方は非常に丁寧に対応してくださいました。
(御朱印第584号)
直書き 十日ではなく十五になってるレア物
神社側から見た参道
徳川家康ゆかりの地。“小山評定”を経て“関ヶ原の戦い”に勝利し歴史が変わったと言っても過言ではないでしょう。
※最近の研究では“小山評定”の有無が問われているそうです。私は普通に有りです。
直書きの御朱印です。
第一鳥居。
第二鳥居と神門。
第二鳥居の右側に有ります。
拝殿。
本殿。
小山市役所内の“小山評定跡地”。
という訳で~
“小山評定跡地”は現在の小山市役所場所と須賀神社境内と2つの説が有ります。
小山花火大会がありました。関東では珍しく尺玉を上げるので花火がデカイです。
手持ち撮影オート連写では、こんなものです失礼。花火の撮影はムズいでした。
小山評定が行われた須賀神社!
今年の夏にお仕事でお世話になります。何卒無事に繁盛して終わりますように!
小山評定は、徳川家三百年の安泰の道筋をつけた重要な軍議で、一説によれば、慶長5年(1600)に、ここ小山の地で開かれたといわれています。
徳川家康は7月24日、上杉景勝を討伐するために会津(福島県)に向かっていた途上、下野国小山に本陣を置きました。その時、石田三成挙兵の報が入り、翌25日、急遽家康は本陣に諸将を招集して軍議を開き、「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田を討つべきか」を質したのです。これが世にいう「小山評定」です。
家康に従う諸将のほとんどは豊臣家譜代の武将で、大坂に妻子を残してきており、その去就が家康にとっては興亡の境目だったのです。
このとき、尾張国清洲(愛知県)城主の福島正則が家康のために命を投げ出すことを誓い、続いて遠江国掛川(静岡県)城主の山内一豊が、「家康に城を明け渡してまでもお味方します」と進言しました。一豊の建議が諸将の気持ちを動かし、家康支持で固まったのです。家康は、特にこの時の一豊の建議を、「古来より最大の功名なり」と激賞しました。
こうして、家康率いる東軍は、石田三成討伐するため西上することに決したのです。
天慶の乱に際し、藤原秀郷公は素盞嗚命に戦勝を祈願し、成就することが出来たので、天慶3年(940)4月、京都の祇園社(八坂神社)から御分霊を勧請して祀ったのがはじまり。
当初は小山の字北山に祀られたが、小山城の築城に際し、平治年間(1159〜60)に現社地に遷座され、城の鎮守となる。
慶長5年(1600)7月、徳川家康公は当社境内にて小山評定(軍議)を開き、参籠して関が原の戦勝を祈願した。のち祈願成就したことにより、その報賽に51石余の社領を寄進し、うち15石が朱印地とされた。
また、徳川家康公の崇拝神社なる故をもって、万治元年(1658)に日光東照宮を造営した職人によって同宮の縮尺で奉製された朱神輿が奉納された。
栃木県のおすすめ2選🎌
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