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ままだはちまんぐう

間々田八幡宮のお参りの記録(1回目)
栃木県間々田駅

投稿日:2023年09月24日(日)
参拝:2023年5月吉日
🌼間々田八幡宮(ままだはちまんぐう)⛩️に参拝させて頂きました🙏
🌸当社は栃木県南部の小山市に鎮座する神社です。その敷地は約2万坪におよび、一部が『間々田八幡公園』として開放され、市民の憩いの場となっています。🍀境内には鎮守の森に守られるように二つの池があり、たくさんの鯉や水鳥が泳ぎます。また、市の天然記念物に指定されているコナラや杉などが生い茂る森は、タヌキや野ウサギをはじめ、街中では見ることのできない多くの小動物や昆虫たちが生息する生命の森でもあります。🌺境内の西側には広大な田園地帯が広がり、思川沿いの土手に足をのばせば、那須・日光連峰、赤城山、浅間山、そして遠く富士山までも望むことができます。
こうした風致に富んだ神社周辺の景観は『とちぎのふるさと田園風景百選』にも選定されました。🌹一方、境内には八幡古墳群とよばれる大小様々な墳丘が点在し、古くからこの地が思川流域に発展した文化圏の一拠点であったことが窺えます。
5月5日に開催される祭り『間々田のじゃがまいた』(蛇まつり)は、平成31年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。15mを越える7匹の蛇が一堂に集う様は圧巻で、新緑香る神社の境内は毎年多くの見物客で賑わいます。🍁 939年頃に起きた平将門の乱に際しては、百足退治の伝説でも知られる武将・藤原秀郷が、当八幡宮ほか沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、見事乱を平定。このご神徳へのご恩返しとして、神社にご神田を奉納されました。🌼当八幡宮が鎮座する一帯は、飯田(まんまだ)の里と呼ばれるようになります。鎌倉幕府成立直前の1189年。奥州藤原氏との合戦に臨んだ源頼朝は、先の藤原秀郷の戦勝祈願を知り、自らも当八幡宮に参拝。境内に松を植えました。🍀この松は1905年(明治38年)に枯死するまで『頼朝手植えの松』として、氏子らにより大切に守られていたそうです。💐さらに江戸時代に入り、日光街道が幕府の手により整備されると、この地がちょうど日光と江戸の中間点となることから、地名が飯田(まんまだ)から間々田(ままだ)へと改められました。🌺以降、松尾芭蕉も宿泊するなど、日光街道11番目の宿場町として、間々田宿は大変栄えることとなり、この時代には朝廷が日光東照宮に毎年例幣使を遣わしていましたが、当八幡宮が大変由緒あることを聞き、道中必ず参拝することが習わしとなっていたそうです。

🍁所在地 : 栃木県小山市間々田2329
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮の建物その他
間々田八幡宮(栃木県)
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間々田八幡宮(栃木県)
間々田八幡宮(栃木県)

すてき

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