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島田稲荷神社から次の所に行くため矢場川という川に沿って南下していたところ、道路の合流点で塚のようなものを発見。
何か神社の評注のような物も立っており、興味を引かれて寄ってみることにしました。 まず評注を見たところ・・・
富士北口登山五十度碑 権少教正井下田忠明
・・・なんだこれ?( °д°)ポカーン 社名じゃないな??
とりあえず富士講に関する石碑っぽいので、古墳じゃなくて富士塚だということは判明。
下半分について調べたところ、まず「権少教正」というのは、明治初期に政府が神道国教化を目指してた頃に任命した、教導職という宗教官僚の位階だったそうです。
14段階あり、権少教正というのは上から6番目のわりと高位の位階だった。
この教導職というのは、神官・神職・僧侶・宗教家・・・はては落語家や歌人・俳人などから任命されてたそうなので、たぶん井下田忠明という人も扶桑教みたいな富士講系教派神道の宗教家か御師ではないかと思います。
ちなみに井下田忠明についてググったところ、この辺りの富士講系の神社や石碑のみかなり詳しく追ってる人のサイトが出てきた!Σ( ̄□ ̄;)
(専門的すぎて自分の調査には役に立たなかったがw)
何個か前に投稿した全国のほろわ神社だけ追ってる人のサイトといい、寺社趣味もホント奥が深いな・・・(゜゜;)
塚上には、富士塚なら間違いなく浅間社だろうと思われる石祠と、これまた富士信仰には付き物の岩長姫や食行霊神の石碑などがありました。
矢場川という、かつては下野と上野の国境だった川に沿って南下
すると道路の合流点の脇にこのような塚がありました
興味を引かれて寄ってみることに
神社のような評注がありましたが、彫られているのは社名ではなく富士登山五十度の碑
下の方を見ると名前のようなものが・・・
ググったところ、権少教正というのは明治初期に国が神道国教化を目指してた時に任命した宗教官僚の位階らしい
井下田忠明というのはどうも富士講関係の宗教家か御師の様子
登ってみるといくつかの石碑と祠が一つ
あぁ、やはりこれは富士塚だな!
食行霊神・・・間違いない、これは江戸時代の富士講の指導者、食行身禄だ!
ちなみにこの時は気付かなかったのですが、横の四角い石碑は岩長姫だったらしい
こんな小さな石祠の神社は当然ながらググっても情報が全く出なかったのですが、富士塚なら木花咲耶姫の浅間神社で間違いなかろうとそれで登録w
こちらも富士講の行者が富士山に三十三度登ったという自慢・・・じゃなくてw記念碑だそうです
意外なことに、こんな石祠の富士塚にも普通の神社にあるような掲示板が立ってた
しかも掲示物を見ると、どうもここも島田八坂神社の宮司さんが管理してるっぽい!?Σ(°Д°;)
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