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鞍掛神社について

藤原秀郷の子孫、戸矢子七郎有綱(足利有綱)を祭神とする神社。 春は桜の名所。

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くし
くし
2025年01月05日(日) 02時29分22秒
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船越の熊野神社から少し町の方に戻り、次は一つ南の戸室という地区にあるこちらの神社へ行きました。

こちらは藤姓足利氏一族の一人、戸矢子七郎有綱こと足利(藤原)有綱公が祀られてる神社。
当地の伝説で木曾義高を匿ったといわれる佐野基綱の父にあたる人物です。
過去に鑁阿寺などで何度か触れた足利俊綱・忠綱親子のように、この方も足利荘の支配を巡って源姓足利氏と対立し敗れてしまった藤姓足利氏一族の一人。

源姓足利の足利義兼と、赤見(磯山弁財天とか沼矛神社のある辺り)で戦うも、山鳥の矢で片目を射られてしまい敗北😫💥
この戸室の里まで落ち延び、井戸で目を洗い石室に参詣した後、死期を悟り鞍に腰掛けて自刃して果てたと云われています。

有綱公終焉のこの地には、かつて有綱公の墓所もあり、曾孫の佐野実綱の代に、菩提を弔うため大悲山 平等院 大安寺というお寺も建てられたそうですが、後の世の大永3年(1523年)に尊永という和尚により遠く栃木市千塚町にお墓とともに移転。 そちらには有綱公の木像も伝わってるようでWikipediaに写真が載ってました。

今回、この神社のことを調べてたら副産物的に平等院の由緒等もザッと掴めたので、ついでにそちらの基本情報も更新しておきましたw✏️ いつか平等院にも実際に行ってみたいですね😄

鞍掛神社(栃木県)

駐車場は鳥居横を通って境内に乗り付け

鞍掛神社(栃木県)

一の鳥居
額は「正一位鞍掛大明神」となってます

鞍掛神社(栃木県)

二の鳥居

鞍掛神社(栃木県)

左側に磐座に乗った庚申塔
社家さん宅なのかわかりませんが敷地内に家が一軒
人は住んでるようですが今回は特に受印は考えてなかったので声掛けせず🙊

鞍掛神社(栃木県)

案内板
由緒書きかと思ったら・・・チッ!単なるお宝自慢😒・・・じゃなくて文化財案内板だったw

鞍掛神社(栃木県)

三の鳥居
ここで右手の方に山に沿った登り道もあったのですが、一先ず社殿に向かいます

鞍掛神社(栃木県)

拝殿

鞍掛神社(栃木県)

ここは小さな神社ながらかなり豪華な彩色彫刻があります✨️
しかも神社裏が高台になってるので非常に見やすい👍

鞍掛神社(栃木県)

後ろ側には禍々しきムカデが・・・🐛😱

鞍掛神社(栃木県)

これ三面続きでご先祖藤原秀郷公のムカデ退治を描いてるようですね!😍
この面が瀬田の唐橋の場面で、後ろがムカデ、反対側はお礼に赤銅の釣鐘や避来矢などの竜宮の宝を授かる場面🔔💎👑

鞍掛神社(栃木県)

境内右に摂社群
この神社は主宰神以外の資料が出てこなかったので摂末社の祭神は不明💫
次は一旦鳥居前に戻って上にある道を行きます

鞍掛神社(栃木県)

境内を右に巻くようにして山裾を登る道

鞍掛神社(栃木県)

まず何か折れた石柱のようなものがあった

鞍掛神社(栃木県)

登った先に祠があるようです

鞍掛神社(栃木県)

石祠が4つ

鞍掛神社(栃木県)

真ん中の結界に囲まれた大きな祠は山神宮でした

鞍掛神社(栃木県)

左の中祠には卍が付いてる
この山上の石祠4つはたぶん浅間神社とか富士講関係の神様じゃないかと思います

鞍掛神社(栃木県)

神社裏は見晴台のような感じになってます
これは神楽殿かな?

鞍掛神社(栃木県)

ちなみにこの神社はちょっとした桜の名所🌸
一昔前はこの高台で春祭りとかやってたのかもしれません

鞍掛神社(栃木県)

北の野上・作原方面の眺め
ちなみにうちの父方の祖父母はここから約16kmほど山に入った一番奥の集落出身(^^;

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歴史

戸矢子七郎有綱(足利有綱)は、鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする藤姓足利氏の庶流で、佐野氏、阿曽沼氏、木村氏などの祖。
寿永2年(1183年)に、下野国の野木宮(栃木県下都賀郡野木町)で源頼朝らと志田義広らが争った野木宮合戦では、子の基綱と共に源頼朝方に味方し、志田義広方に付いた兄の足利俊綱とその子 忠綱を敗走させた。
文治2年(1186年)、足利荘の支配を巡り競合する源姓足利氏の足利義兼と赤見山(佐野市赤見町)で戦ったが、山鳥の矢で左眼を射られて敗走。
途中の井戸で目の傷を洗い、当地の石室に参籠後、老体のため馬の鞍に腰をかけて自害した。
村人たちは、戸矢子有綱が藤原秀郷の末裔なので祠を建てて祀り鞍掛大明神と称した。
寛永十三年(1636年)、元録十年(1697年)二月、延享二年(1745年)十月に再建。
なお、この地 戸室はもともとは石室という地名であったが、戸矢子七郎有綱の一字を取り「戸室」に改めたという。

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名称

鞍掛神社

読み方

くらかけじんじゃ

通称

明神様

詳細情報

ご祭神《主》鵜草葺不合命・天津児屋根命・戸矢子七郎有綱(足利有綱)
創建時代

文治二年(1186年)

創始者

戸室の里人

ご由緒

戸矢子七郎有綱(足利有綱)は、鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする藤姓足利氏の庶流で、佐野氏、阿曽沼氏、木村氏などの祖。
寿永2年(1183年)に、下野国の野木宮(栃木県下都賀郡野木町)で源頼朝らと志田義広らが争った野木宮合戦では、子の基綱と共に源頼朝方に味方し、志田義広方に付いた兄の足利俊綱とその子 忠綱を敗走させた。
文治2年(1186年)、足利荘の支配を巡り競合する源姓足利氏の足利義兼と赤見山(佐野市赤見町)で戦ったが、山鳥の矢で左眼を射られて敗走。
途中の井戸で目の傷を洗い、当地の石室に参籠後、老体のため馬の鞍に腰をかけて自害した。
村人たちは、戸矢子有綱が藤原秀郷の末裔なので祠を建てて祀り鞍掛大明神と称した。
寛永十三年(1636年)、元録十年(1697年)二月、延享二年(1745年)十月に再建。
なお、この地 戸室はもともとは石室という地名であったが、戸矢子七郎有綱の一字を取り「戸室」に改めたという。

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