みはしらじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
おすすめの投稿
実際の参拝順と異なりますが、関連神社なので続きでもう一つの三柱神社について投稿します。
やはりこちらは御朱印アリ+文化財の天井絵があるということで行ってる人が多いですねw
ホトカミ外でも、もう一つの三柱神社が一部の好事家しか行ってないのに、こっちは記事多数でYouTubeに動画まで上がってたりwww
起源は同じなのに・・・どうしてこうなった?(?_?)
立地的にこっちの方が修験の聖地の大小山とか、道場のあった西場の百観音に近いので、そういった影響もあったのかな?なんて考えたり。
多田木の三柱神社は境内社皆無なのに、駒場の方は多数、それも並みの神社以上にある!Σ(; °Д°)
資料で事前確認できたものを圧倒的に越えてたので、とりあえず実際に見て社名を確認できたものだけ追加しときましたw
文化財の天井絵もそうですが、やっぱ人が集まる方が大事にされるためか、駒場の方が社殿もやや立派で、駐車場も整備されてたり・・・
なんだかゲームの無課金プレイと課金プレイの差を見せつけられているようで、なかなか興味深かったw
一見入口付近はどちらの三柱神社もさほど変わらないように見えるが・・・
入口左にあった巨石
庚申塔だったと思われるがかなり大きい(゜゜;)
石仏だけでなく戦没軍馬記念碑にまで注連縄が掛けられてる
鳥居
こちらも額は「日光三社大神」
龍が巻き付いたりしてて額からしてこっちの方が立派
すでにこの辺から差がついてる(^^;
どちらも山裾の高台にあるが、もう一つが自然の傾斜利用に対して、こっちは堅牢な石垣
狛犬も大きい・・・というか多田木の方には狛犬自体がなかったw
拝殿の規模や作りはさほど変わらないが、やはり文化財があるためか、こちらの方が整備されてる
拝殿の扁額も日光三社大神になってます
左に回ってみたら多数の境内社があることに驚く!Σ( ̄□ ̄;)
まずは一番左の最も重要視されてるらしい二社
片方はお稲荷さんでした
こちらの義照神社は、徳川家康から駒場・多田木を拝領した、初代の宮原大勘五郎義照を祀ったものと思われる
東陽院の開基もこの方です
この辺りはどれも祭神不明( ´・ω・`)
富士宮
結界で囲まれた摂社
なぜこれだけ囲まれてるかは不明
水神宮でした
本日見てきた渡良瀬川や袋川沿いと違って、この辺はさほど水害の心配はないと思えるが・・・?
紙垂を捲ってみたら浅間大神でした
木花咲耶姫が富士宮と浅間宮で別に祀られてるのか・・・
一番右の方に休憩所みたいなもの
黄色に染まった銀杏がきれいでした。
摂末社がとにかく多くてもりもりでしたね。以前5年くらい前に一度訪れた事があるのですが、そのときに比べて社務所やお社の囲いなどとてもきれいになっていました。
あとソメイヨシノがたくさん植わっていたので花見の季節もよさそうですよ。
足利の文化財一斉公開で天井絵が拝見できたので写真追加しました!
拝殿。
額には『日光三社大神』とありました。日光鹿島神社と同じで日光大権現様がいらっしゃるのでしょうか?
拝殿と本殿を横から。
狛犬様。
どっしりとしています。
拝殿の左手にお社が二社。どちらの神様かわかりませんでした。
手前が富士宮で、奥はたくさんのお社が。
こちらの手前は浅間大神、奥はまたたくさんのお社と石のお社は雷電神社でした。
連なっているお社は扉を開けると中にどちらの神様か書いてあるので後でちゃんとメモして来ようと思いますが、有名な神社が多かったような?
水神宮。
柚子がたくさんなっていました。
紅葉した銀杏と拝殿。
鳥居。こちらの額にも『日光三社大神』とありました。
鳥居の右手に新しい社務所が。ぴかぴかです。
村社ですね。
足利市重要文化財の天井絵の説明書き。
駐車場は鳥居の左手に9台止められるところがあります。
社務所のところにあったのは社殿や社務所の説明書きでしたね。
2018年11月25日、足利の文化財一斉公開で天井絵を拝見できました!
漆塗りの格子によって112に区切られた格間それぞれに百歌仙図と花鳥図が描かれています。
製作年代は庚申年(万延元年1860年)で、落款より絵師が『晏斎栄悦(あんさいえいえつ)』とわかります。栄悦は明治時代の著名な歴史画家・小堀鞆音の父親で、市内東部地域に絵馬が数枚残されています。(文化財一斉公開のパンフレットより)
一枚一枚緻密に描かれており、とても美しいです。
並びもきれいなのでとても整頓された印象です。
雨漏り?の侵食で朽ちてしまったようですね。
痛んでしまっている絵も。
明治時代の左官、出井唯次郎さんの奉納絵馬です。
「日光三柱神社」と書かれていますね。
明治時代の境内図。明治時代の鳥居はこの形だったのか。摂末社は今より少ないです。
本殿。
奉納絵馬。幟には「奉納日光三社大権現」とあります。
本殿屋根。
宮司さんがいらしたので御朱印を頂けました!御朱印帳を忘れてしまったので書き置きで。
宮司さんがいらっしゃると思わなかったのでびっくりしました。
宮司さんから「簡単ですけど…」頂いた三柱神社情報。どうして「日光」がつくのかをお聞きしたら「読んだけど…忘れちゃった」とのことなので、ちゃんと資料には書き残されているようですよ。
歴史
天文年間(1532~55年)に駒形大明神を祀り,寛文年間1661~73に日光権現を勧請して、延宝八年1680から日光三社大権現と称した。
多田木町の三柱神社と同様の縁起であるのは両村の領主宮原氏の創建になるためである。
明治四十〜四十一年1907-8に社名不明の無格社を合祀。
拝殿の格天井に百人一首の歌と歌人の絵が描かれている。
名称 | 三柱神社(駒場町) |
---|---|
読み方 | みはしらじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大己貴命・事代主命・須世理姫命 《配》示現太郎大神 《境内社》稲荷神社・義照神社・富士宮・浅間大神・水神宮・その他多数 |
---|---|
創建時代 | 天文年間(1532~55年) |
創始者 | 宮原氏 |
ご由緒 | 天文年間(1532~55年)に駒形大明神を祀り,寛文年間1661~73に日光権現を勧請して、延宝八年1680から日光三社大権現と称した。
|
体験 | 御朱印重要文化財 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
21
0