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いそやまべんざいてん磯山

磯山弁財天の御由緒・歴史
栃木県 田沼駅

ご本尊《本尊》八臂弁財天
《脇侍》大黒天・毘沙門天
《配》弁財天十六童子、宇賀神
創建時代天暦2年(948年)
開山・開基藤原秀郷
ご由緒

天暦2年(948年)に藤原秀郷公が創建。
弘法大師が相州江ノ島弁財天にて護摩修行をした灰を勧進して造られたと伝わる。
山腹にある弁天堂は眺望豊かな三層楼の舞台作り。現在の本殿は鎌倉時代に再建されたもので、釘を使わない「かけつくり」という昔の建築美を、今に伝える当地唯一の文化財として大切に継承されてきた。
周辺には、水に縁が深い水神として池や河に祀り、蛇にまつわる神話が多く残されている。

一説によると、唐沢山城最後の城主 佐野信吉が慶長19年3月 江戸の大火を発見し早馬にて馳せ参じ一番乗りで消火活動に従事するも、かえって徳川家康に無断参府と江戸を眼下に見下ろすとは何事かと難癖をつけられ、これを口実に唐沢山城廃城の憂目を見る。
その際、領民は一丸となり城主の胸中を慰め、また家康への忠誠と不信を取り戻す為に、辨天堂を江戸城鎮護の守り神として山腹に江戸城向きに安置したといわれ、御本殿は現在の東京都の方向を向いてる。

《朝日長者伝説》
昔、出流原に朝日長者が何不自由なく暮らしていたが、ただ一つだけ子宝に恵まれなかったので、長者夫婦が出流原弁天に子授けの願をかけた。
すると美しい女の子が生まれ「鶴姫」と名付け大切に育てた。 ところが鶴姫が18歳の時、山に遊びに入ったまま行方不明となってしまう。
嘆き悲しむ長者夫婦に「姫は弁天池の鯉となっており、龍神となって昇天するためには莫大な財宝がいる」との神のお告げがあった。
長者は世の無常を感じ、また娘の昇天のために後山に財宝を埋め「うるし千杯、朱千杯、黄金千杯、朝日さす夕日輝く雀の三おどり半の下にある」 という歌を残した。
後の時代、ある武士がこの辺りの山中で愛馬とはぐれ、ようやく見つけ出すと愛馬の脚が真っ赤に染まっていた。
ケガでもしたのかと驚いた武士が調べてみると朱がべっとりと付いており、朝日長者の財宝は本当にあるのだと里人は噂しあったという。
またこの逸話が出流原の隣にある赤見の地名の由来といわれる

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