ばんなじ
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楽しみ方鑁阿寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月29日(木) 21時43分50秒
参拝:2021年6月吉日
正式名:金剛山仁王院法華坊鑁阿寺
通称:足利氏宅跡、鑁阿寺
建久7年(1197)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山で、本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来を祀る。
義兼死後、その子義氏が建立した本堂は、1229年に落雷により焼失したが、足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修した。日本としては禅宗様式への転換期の最初期にあたる。
鎌倉時代から室町時代にかけて寺院として次第に整備され、室町将軍家、鎌倉公方家などにより、足利氏の氏寺として手厚く庇護された。
約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館であり、現在でも四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。またこの事から「史跡足利氏宅跡」として、大正10年3月に国の史跡に指定されており、現在では「日本の名城百選」にもなっている。
通称:足利氏宅跡、鑁阿寺
建久7年(1197)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山で、本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来を祀る。
義兼死後、その子義氏が建立した本堂は、1229年に落雷により焼失したが、足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修した。日本としては禅宗様式への転換期の最初期にあたる。
鎌倉時代から室町時代にかけて寺院として次第に整備され、室町将軍家、鎌倉公方家などにより、足利氏の氏寺として手厚く庇護された。
約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館であり、現在でも四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。またこの事から「史跡足利氏宅跡」として、大正10年3月に国の史跡に指定されており、現在では「日本の名城百選」にもなっている。
すてき
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竜王1838投稿
人生に迷い、惑い、思い悩んだ三十路も半ば、見えない力に縋りたくて神社仏閣を訪問する日々が始まる…。 全国行脚のなかで怪我や病気が治癒するという奇跡も体験し、素晴らしい出逢いにも恵まれました。 そ...もっと読む
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