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稲荷神社(下渋垂)ではいただけません
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くし
2023年06月08日(木)
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次は梁田戦争で官軍側が陣を敷いたという、梁田宿の南にある渋垂という町内に行きました。
調べてみたところ神社と寺が一つづつあったのでまず神社の方から参拝してみることに。

この神社はプチ呼ばれた系でした。
神社自体は狙って行ったのですが、現地付近で詳しい地図を見ようと路駐したところ、偶然そこが神社前だったみたいなw
あとこの規模の無人社にしては珍しくかなり詳しいデータが出てきた!Σ(; ゚Д゚) 祭神、縁起・沿革、祭礼日まで全てわかった・・・(゜゜;)
やはりお稲荷さんとは何か特別な縁があるのかもしれませんw

情報を見つけたサイトに由緒が古文調に書かれていたので、中学二年生でもわかるような現代文に直すのがちょっと大変だったw
「勧請せしものなり」とか「来たりしものならんか」みたいに元の古文調の部分がやや残っちゃってますがご容赦くださいませ(^^;

Google Map上では「村社稲荷神社」となってまして鳥居の額もそのように書かれてます。
ホトカミには「稲荷神社」で事前登録されており、名前を変更しようかどうか迷ったのですが、「村社稲荷神社」というのは社名としては不自然なのでそのままにしておきます。
(行く人がいるかどうかわかりませんが、追加編集される方はご自由にw)

この神社、ご覧のように左右が住宅に挟まれてまして、特に右側の家から丸見えだったので不審者と思われぬよう手早く参拝(^^;
後で調べたら社殿裏にも摂社があったみたいですが見逃した(ノ∀`)

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

住宅地に挟まれて参道が伸びる

稲荷神社(下渋垂)の鳥居

鳥居

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

鳥居の額も「村社稲荷神社」となってます
やっぱりこっちが正しい社名なのかな?('_'?)

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

右から浅間大菩薩、元祖角行食行霊神、伊勢参宮太々御神楽と彫られた石神
角行というのは富士講の信仰上の開祖で、食行というのは江戸時代の富士講の指導者だそうです
先日行った富士浅間宮の由来板にも書かれてましたね

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

御霊・・・一番下が読めない(*_*;

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

左に境内社の八幡宮

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

神庫も兼ねてるようで色々な物が詰め込まれてる(^^;

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

拝殿

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

拝殿の額は「稲荷神社」のみ
やっぱり村社稲荷神社って名前は不自然だよな(^^;

稲荷神社(下渋垂)(栃木県)

右側に摂社が二つ
片方は配祀神の大日孁貴命(天照大神)の神明宮らしい

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名称稲荷神社(下渋垂)
読み方いなりじんじゃ

詳細情報

ご祭神《主》保食命
《配》譽田別命 大日孁貴命 木花咲耶姫神
創建時代1289年(正応二年)
創始者豪農の稲村家
ご由緒

正応二年1289創建,天正年間1573~92に再建。
明治四十年1907字雷電の八幡宮を合祀。
昭和二十七年1952大改修。

社伝に曰く、本社の創立は本村開始の時、豪家 稲村家の地内に勸請せしものなりと云う。
本村は古くは潮垂または壚嶋とも呼ばれていた。
本社より五丁程隔り、今も潮嶋あるを見れは渋は潮より來りしものならんか。然るに何時の代にか今の社地に遷座したものと思われる。
享保年中宣旨を賜り正一位を授けらる。 寛保三年十一月本社再建す。 天保十二年十一月拜殿を再建す。

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