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梁田招魂社ではいただけません
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くし
くし
2023年06月08日(木)
1450投稿

最後に、梁田戦争で被弾した松の木が移植されており、ちょっとした資料展示もあるという梁田公民館に寄ってみました。

現地に着いてみたら・・・お? 今まで気付かなかったけど何か神社もある( ・∀・) よし♪ これでホトカミでも紹介できるw

調べてみたら招魂社。しかし祀られてるのは日清・日露以降の戦没者だそうで、梁田戦争とは直接の関係はないそうですが・・・
弾痕の松も招魂社とセットのように何度か移植しているので意識はしてたかと思います。
梁田戦争は官軍にも多少の被害が出てますが、圧倒的に幕軍の方が死傷者が多かったそうで、やはり「幕軍=賊軍」という認識でおおやけには合祀できなかったんでしょうね(-ω-)
(他の慰霊碑や墓所も当初は建立を禁じられてたらしい)

ちなみに梁田戦争の兵力は、官軍200余に対して幕軍900余、しかし死者は官軍3人に対して幕軍62~100人以上(諸説あり)と圧倒的!Σ(; ゚Д゚)
幕軍側は酒宴とかして相当油断してたらしいですが、装備とか戦術なんかもかなり差があったんじゃないかと思います。

梁田招魂社の御朱印

授与品というワケではありませんが、梁田公民館で資料をいただけましたw

梁田招魂社(栃木県)

弾痕の松を探していたところ、公民館の南側に招魂社があることに気付く
選挙などで何度か梁田公民館に来たことあるけど全く知らんかった(^^;

梁田招魂社(栃木県)

弾痕の松

梁田招魂社(栃木県)

・・・で、どこに弾痕があるんだ?(・_・?)

梁田招魂社(栃木県)

発見!
大砲の弾が当たった跡だそうです
約150前だともっと細かったと思うけど、よく折れたり枯れたりしなかったな(゜゜;)

梁田招魂社(栃木県)

招魂社の奉賛之碑
弾痕の松についてもシッカリ触れられてる

梁田招魂社(栃木県)

梁田招魂社
小さな狛犬もあり

梁田招魂社(栃木県)

屋根に☆がついてます

梁田招魂社の建物その他

梁田公民館内の梁田戦争展示資料室
土日祝は休みですが入場無料

梁田招魂社の建物その他

一室だけの展示ですが思ったより内容豊富でした♪

梁田招魂社(栃木県)

ちょっと見づらくてすみませんが(^^;
梁田戦争の官軍と幕軍の配置図

梁田招魂社(栃木県)
梁田招魂社(栃木県)

官軍側の使用した砲弾

梁田招魂社(栃木県)

幕軍側が使用した火縄銃

梁田招魂社(栃木県)

梁田戦争のレリーフ

梁田招魂社(栃木県)

星宮神社

梁田招魂社(栃木県)

弾痕の柱

梁田招魂社(栃木県)

弾痕の松とは別の旅籠にあったもの

梁田招魂社(栃木県)

ここが当たった痕ですかね?

梁田招魂社の建物その他

これもまた別の旅籠にあった弾痕
散々鉄砲と大砲撃ち込まれた後に、薩摩兵が「チェストー!」とか突っ込んでくるとか恐ろしす((( ;゚Д゚)))

梁田招魂社(栃木県)

幕軍側の主だった面々
上段左の今井信郎という人は、なんとあの坂本龍馬暗殺にも関わった人だそうで!Σ( ̄□ ̄;)

梁田招魂社(栃木県)

幕軍側の隊長 古屋佐久左衛門
幕末屈指の兵学者で、この後も箱館五稜郭まで転戦するも、艦砲射撃の直撃を受けて戦死
享年37歳

梁田招魂社(栃木県)

こちらは官軍側の主だった面々
ほとんどが海軍大将や貴族院議員など明治政府の要職に着く
後に足尾鉱毒事件の視察という思わぬ形で梁田を再訪することになる人も何人か

梁田招魂社(栃木県)
梁田招魂社(栃木県)

薩摩藩の一般兵士
右の人に注目! このころからチェックのネルシャツってすでにあったんだwww
いや・・・この人だけ風貌が現代人ぽいし、もしかしてタイムトラベラー!?Σ(Д゚;/)/

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名称梁田招魂社
読み方やなだしょうこんしゃ
トイレ梁田公民館内
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神日清・日露戦争以降の英霊
創建時代1912年(大正元年)
創始者増田良助
文化財

弾痕の松 (足利市指定文化財)

ご由緒

招魂社社殿は、大正初年、南猿田 増田良助氏の寄付により、梁田小学校地内に建立。
村内 日清・日露以降の戦没者を合祀し、軍人分会が祭祀を行っていたが、昭和二十年 大東亜戦争終戦により、やむなく小生川鹿島神社に移し遺族会が祭祀管理を行っていた。
然し昭和二十九年 世情の著しい復興と、梁田村の御厨町合併に当面し、地区住民挙がって賛仰奉祀すべく役場敷地に奉還し併せて忠魂碑を建立した。
公民館建設に伴い昭和四十八年、三度この地に遷宮し、現在八十八柱の英霊が合祀されている。(境内の奉賛之碑より)

【弾痕の松】
梁田戦争で、旅籠「中山楼」の庭先にあって被弾した松。
梁田村に寄贈され、梁田小学校、梁田町役場と移植を繰り返したのち現在に至る。
弾痕は32cm×10cmほどで、コンクリートが詰められている。

体験重要文化財武将・サムライ

Wikipediaからの引用

概要
梁田の戦い(やなだのたたかい)は、戊辰戦争における局面の一つとして、慶応4年3月9日(グレゴリオ暦1868年4月1日)に下野国足利郡梁田(現在の栃木県足利市)で行われた戦闘である。川村与十郎らの率いる薩摩藩、長州藩、大垣藩の軍勢(新政府軍)と、古屋佐久左衛門率いる衝鋒隊(旧幕府軍)が衝突し、新政府軍の勝利に終わった。
引用元情報梁田の戦い」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A2%81%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84&oldid=98143403
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