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れんしょういん|天台宗太平山

連祥院
栃木県 大平下駅

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えい
えい
2024年06月23日(日) 20時08分20秒
703投稿

太平山 虚無蔵尊 六角堂✨太平山神社の表参道(あじさい坂)入り口近くにありお参りしました😊

「六角堂」の名で親しまれている同寺の創建は天長4年(827)、慈覚大師円仁による。
その後、淳和天皇御宸筆の勅額を賜って永世勅願所となり、太平山の神事や仏事を取り仕切る別当寺院となった。

創建より7百余年は平穏に過ぎたが、天正13年(1585)皆川氏と北条氏が太平山上において数十日間にわたる戦をくりひろげ、多くの寺院や社宇が焼失した。しかし戦後直ちに復興に着手し、3年後には主な堂宇が再建された。

江戸期に入り徳川家との深い関係(4代将軍家綱の生母・高島御前が、太平山南山麓の瑞穂村高島の生まれで太平山を尊崇していた)から、同寺は延享3年(1747)に大寺格に昇進し、近郷の多くの人々の信仰を集めていた。

しかし明治期の神仏分離令により山上より降ろされ、明治38年(1905)に京都の六角堂を模して現在地に建立された。

堂内には本尊である虚空蔵菩薩や愛染明王像、不動明王像が安置されており、向拝には龍の彫刻の左上に、虚空蔵菩薩と関係の深い「うなぎ」の彫刻がある。

虚空蔵菩薩は秘仏だが、毎年1月1日〜5日まで御開帳されている。ホームページより

連祥院(栃木県)
連祥院(栃木県)
連祥院(栃木県)
連祥院(栃木県)
連祥院(栃木県)
連祥院(栃木県)

ねこみくじ大吉🤞御朱印は書き置きのみでした🙏

連祥院(栃木県)

ありがとうございました😊

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断捨離
断捨離
2021年07月01日(木) 23時59分51秒
1424投稿

あじさい坂の始まりに六角堂があります。慈覚大師円仁により創建されました。
御本尊は虚空蔵菩薩。あたしの守本尊なので、あじさい坂を無事登れます様に、ご挨拶しました。

連祥院の鳥居

あじさい坂の始まりです。
あじさいの見頃で駐車場待ちで随分時間がかかってしまいました。

連祥院の本殿・本堂

何年か前の記憶は薄れていて、なんて綺麗なんだろうと驚きました。

連祥院の芸術

向拝の龍は緻密にできています。

連祥院(栃木県)
連祥院の庭園

さぁ、あじさい坂、頑張って行ってきます!

連祥院の御朱印
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歴史

太平山連祥院は、天長四年(八二七年)慈覚大師円仁により創建されました。その後連祥院は、淳和天皇御宸筆の勅額を賜り永世勅願所となり、太平山の神事・仏事をすべてとりしきる別当寺院となりました。
創建より七百余年は平穏でしたが、天正十三年(一五八五年)、皆川氏と北条氏が太平山上において、数十日間に亘る戦を繰り広げ、多くの寺院、社宇が焼失してしまいました。戦後直ちに当時の連祥院住職が、太平山内の寺院、社宇の復興に着手し、三年後の天正十六年には主な堂宇が再建されました。江戸期に入り、徳川家との深い関係(四代将軍家綱の生母高島御前が、太平山南麓瑞穂村高島の生まれで太平山を尊崇していた。)から、連祥院は延享三年(一七四七年)に大寺格に昇進し、近郷の多くの人々の信仰をあつめました。
明治期以前まで太平山は、神仏が混在しており、山上には慈覚大師円仁が創建した太平大権現社、当山のご本尊虚空蔵菩薩を安置した本地堂、釈迦堂、大日堂等の堂宇が並び、下に仁王門(現在は随神門。当時は連祥院の仁王門でした。現在でも裏側に仁王さまが安置してあり、かつて寺院として栄えた頃を偲ばせる建造物です。)そして、あじさい坂のわきには、三光院、多聞院、法泉院、報恩院等の寺院がありました。
しかし、明治期の神仏分離令により太平山における仏閣、寺院、別当所は廃棄され、僧侶の祭事に列する事も止められました。太平山の本地仏虚空蔵菩薩はなんとか難を逃れ、旭岳へ仮本堂を建て安置されました。明治二十年には新しい本堂が建立されましたが、同三十五年暴風雨により倒壊してしまいました。その後有志者により、今日の連祥院本堂が明治三十八年に建立されました。連祥院本堂は、京都の六角堂を模して建てられましたので、六角堂と呼ばれております。
現在の本堂は、昭和の終わりから平成にかけて行なわれた本堂洗浄・屋根改修工事によって建立当時の優美さを今なお保ち続けています。
堂内には、虚空蔵菩薩(秘仏)、愛染明王、不動明王が安置されており、向拝には、親子龍の左上に虚空蔵菩薩と関係の深いうなぎの彫刻があります。
(HPより)

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連祥院の基本情報

住所

栃木県栃木市平井町643

行き方

JR栃木駅から関東バス(倭町経由国学院行)で約15分
東北自動車道 栃木I.Cから約15分

アクセスを詳しく見る
名称

連祥院

読み方

れんしょういん

通称

太平山虚空蔵尊六角堂

トイレ駐車場にあり
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号0282-25-3023
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.tochigirokkakudo.or.jp
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詳細情報

ご本尊虚空蔵菩薩
山号

太平山

宗旨・宗派天台宗
創建時代

天長四年(827年)

開山・開基

慈覚大師円仁

文化財

⚫︎本尊 虚空蔵菩薩(重要文化財)

ご由緒

太平山連祥院は、天長四年(八二七年)慈覚大師円仁により創建されました。その後連祥院は、淳和天皇御宸筆の勅額を賜り永世勅願所となり、太平山の神事・仏事をすべてとりしきる別当寺院となりました。
創建より七百余年は平穏でしたが、天正十三年(一五八五年)、皆川氏と北条氏が太平山上において、数十日間に亘る戦を繰り広げ、多くの寺院、社宇が焼失してしまいました。戦後直ちに当時の連祥院住職が、太平山内の寺院、社宇の復興に着手し、三年後の天正十六年には主な堂宇が再建されました。江戸期に入り、徳川家との深い関係(四代将軍家綱の生母高島御前が、太平山南麓瑞穂村高島の生まれで太平山を尊崇していた。)から、連祥院は延享三年(一七四七年)に大寺格に昇進し、近郷の多くの人々の信仰をあつめました。
明治期以前まで太平山は、神仏が混在しており、山上には慈覚大師円仁が創建した太平大権現社、当山のご本尊虚空蔵菩薩を安置した本地堂、釈迦堂、大日堂等の堂宇が並び、下に仁王門(現在は随神門。当時は連祥院の仁王門でした。現在でも裏側に仁王さまが安置してあり、かつて寺院として栄えた頃を偲ばせる建造物です。)そして、あじさい坂のわきには、三光院、多聞院、法泉院、報恩院等の寺院がありました。
しかし、明治期の神仏分離令により太平山における仏閣、寺院、別当所は廃棄され、僧侶の祭事に列する事も止められました。太平山の本地仏虚空蔵菩薩はなんとか難を逃れ、旭岳へ仮本堂を建て安置されました。明治二十年には新しい本堂が建立されましたが、同三十五年暴風雨により倒壊してしまいました。その後有志者により、今日の連祥院本堂が明治三十八年に建立されました。連祥院本堂は、京都の六角堂を模して建てられましたので、六角堂と呼ばれております。
現在の本堂は、昭和の終わりから平成にかけて行なわれた本堂洗浄・屋根改修工事によって建立当時の優美さを今なお保ち続けています。
堂内には、虚空蔵菩薩(秘仏)、愛染明王、不動明王が安置されており、向拝には、親子龍の左上に虚空蔵菩薩と関係の深いうなぎの彫刻があります。
(HPより)

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