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日本最古の石仏を拝観したくて、宇都宮市大谷寺さま初めての参拝です🙏(📷2024/9/10☀️)
大谷寺本尊千手観音(高さ4m)は、弘仁元年(810)弘法大師によって作られたと伝わっています!
現物を拝観し素晴らしい石仏の前で、しばし古の空間を体感することが出来て凄く良かったです😍
●内部は撮影禁止🈲
🔵「大谷観音」と称され坂東19番の霊場
🔵国の特別史跡・重要文化財に指定
🔵日本遺産にも認定
大谷観音御詠歌 「名を聞くも めぐみ大谷の観世音 みちびき給え 知るも知らぬも」
御朱印は、坂東札所専用帳面以外は、書置きとなります。書き置きですが直筆です😊
⭐️国指定 特別史跡・重要文化財・名勝 ⭐️坂東十九番札所 ⭐️日本最古の石仏 「大谷観音」 ⭐️高さ27メートル「平和観音」
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宇都宮からの帰りに少し回り道をして参拝。
拝観料500円(駐車場代込み)を払ってお参りします。
まずは立派な朱塗りの仁王門をくぐり本堂へ。
まるで崖にめり込むような形で本堂が建てられてました。
本堂内は撮影禁止となってますが、パンフレットや境内内に本尊の写真がありました。
しかし、こちらは写真で見るより絶対にナマで見たほうが良いです。
20年以上前にタリバンに爆破されたバーミヤンの石仏のように、崖に御本尊の千手観音様が彫られてます。弘法大師が彫ったとも、中東出身の鑑真和尚のお弟子さんが彫ったとも言われ、どこか神秘的な雰囲気がするとともに1000年以上前のものなのに滑らかな曲線を描く当時の技術に圧倒されました。
御本尊を過ぎると次の間には釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊が同様に崖の石綿に彫られてるのを観ることができます。
本堂建物を出ると弁財天堂と白蛇像の浮かぶ御池があり、気温が低いために水面には薄氷が張ってました。
しっかり弁財天様にも手を合わせて、更に奥に進むと御止山の登山口が。残念ながらのこの季節は閉山中のため先に進むことはできませんでした。
資料館では「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」のVTRが流れてました。過去に訪れたようです。
また、日本最古の縄文人の遺骨が展示されてます。
御朱印は、坂東三十三観音専用の御朱印帳には直書きしてもらえますが、通常の御朱印の場合は書き置きでの対応とのことでした。
お寺の駐車場横に平和観音のある大谷公園への入口があるのですが、採石場跡地を公園にしたからなのか、かつての採石場の雰囲気が所々で感じることができました。
平和観音像はそんな採石跡地の岸壁に彫られた巨大な観音様で、観音像横にある階段で観音様の顔のあたりまで登ることができて、そのまま展望台のようになってました。
観音様のところに賽銭箱がないからなのか、展望台のところから観音様めがけて大量のお賽銭が投げられてました。
ただ、お賽銭したい気持ちはわかりますが、フェンス越しにお賽銭を投げ込むのは個人的には疑問に思います。見栄えも良くないし、管理者の公園側に迷惑になっていないか心配です。


栃木県 宇都宮市 大谷町 に境内を構える、天開山 浄土院 大谷寺 (おおやじ)、日本遺産 大谷石文化、地下迷宮の様な大谷石切場跡で有名な大谷資料館、近隣に在る寺院、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます。2023.に初参拝後何度か参拝致してます。どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 天開山、院号は 浄土院、寺号は 大谷寺、宗旨 宗派は 天台宗、ご本尊は 石造 千手観世音菩薩立像、坂東三十三観音霊場 第十九番札所 大谷観音 千手観世音菩薩 日本百観音 の一つ、下野七福神 弁財天、下野三十三観音霊場 第三十二番札所、大谷寺は大谷石凝灰岩層の洞穴内に堂宇を配する日本屈指の洞窟寺院である。 本尊は、凝灰岩の岩壁に彫られた丈六(約4.5メートル)の千手観音で、一般には「大谷観音」の名で知られている。
当寺周辺には縄文時代の人の生活の痕跡が認められること(大谷岩陰遺跡)、また弘仁元年(810年)に空海が千手観音を刻んでこの寺を開いたとの伝承が残ることなどから、定かではないが千手観音が造立された平安時代中期には周辺住民等の信仰の地となっていたものと推定されている。平安末期には現代に残される主要な磨崖仏の造立がほぼ完了し、鎌倉時代初期には鎌倉幕府によって坂東三十三箇所の一に定められたものと推定されている。鎌倉時代に入ると、大谷寺は宇都宮社の神職で鎌倉幕府の有力御家人でもあった下野宇都宮氏の保護の下で隆盛したと見られ、1965年(昭和40年)の大谷寺発掘調査において、鎌倉時代の懸仏、1363年(貞治2年又は正平18年)奉納の経石、1551年(天文20年)と書かれた銅椀などが出土している。しかし豊臣秀吉により下野宇都宮氏が改易されると、一時は衰退を余儀なくされた。しかし江戸時代に入って、奥平忠昌が宇都宮城第29代城主に再封された後の元和年間(1615年 - 1624年)、慈眼大師天海の弟子であった伝海が藩主忠昌の援助を得て堂宇を再建した。天海僧正は天文年間に宇都宮城下の粉河寺で修行した経歴を有しており、徳川幕府が擁立された後、徳川家康と代々の将軍家の援助により上野寛永寺を建立したほか、日光山貫主として堂宇再建を行っている。
その後、宝永年間にも諸侯の援助により堂宇建立を中心とした勧請が行われたが、その後の火事で多くの堂宇を焼失している
栃木県のおすすめ2選🎌
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