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楽しみ方須山浅間神社のお参りの記録一覧
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須山浅間神社周辺が東京2020オリンピックのロードレースのコースになってると言うことで8月8日までの限定の御朱印をいただきに行ってきました。35℃超す暑さでしたが境内は木陰になっていて蝉の鳴き声と涼しい風と木や土の匂いで清涼感溢れていて参拝後は爽快な気持ちになります。
いつも気持ちよく対応していただける神職様のお人柄も参拝後の満足度を向上させてるのかも。
自分の中ではまた来たくなる神社No1です🥇
須山口登山道の起点となる神社『須山浅間神社』は、世界遺産・富士山にとって欠かせない重要な存在。構成遺産として登録されており、富士山登頂を目指す人々がさまざまな願いを込めて訪れます。
神社の創設は日本神話の時代にまでさかのぼると言われており、歴史資料によれば16世紀前半にはすでに強い力を持つ神社であったことが分かっています。境内全体は御神木のスギなどに覆われ、とても神聖な雰囲気。富士山のパワーと日本の長い歴史を感じられる場所です。
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前回平日にお参りした際には外祭ということで社務所が閉まっており、休日なら基本的に社務所が空いているということで、日程を調整して再度お参りしました。
到着すると駐車場がかなり埋まっており、鳥居にも国旗が掲揚されていました。偶然にも例祭当日でした。お神輿の練り歩きは今年は中止になったとのことでしたが、境内にお神輿が出されており、参拝者が近くで拝見できるようになっていました。小さな巫女さんも二人いらっしゃり、舞の奉納をするというお話でした。
御朱印は4月の月替わり御朱印と、4月中出されている例大祭の御朱印を頂きました。見開き、というわけではないようですが、見開きみたいなデザイン。
(写真については前回お参りした際のものもあります)
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久しぶりに社務所が開いてる時間に参拝ができました😊表現の仕方が分からないのですが、神職様の参拝者への心遣いがとても心地良く、境内の凛とした空気と暖かさが参拝後穏やかな気持ちになれる不思議な場所で、数ある浅間神社の中でも何度でも訪れたいと思える素敵な場所です😊
社伝によれば、日本武尊の創祀で、欽明天皇13年(552年)、曽我稲目(そがのいなめ=蘇我馬子の父/6世紀)が再興し、天元4年(961年)に平兼盛(たいらのかねもり)が修理奉納した古社。
平兼盛は天元2年(977年)8月17日、駿河守として赴任しているので、可能性としては社殿の寄進という可能性はあるかもしれません。
静岡県神社庁は、「往古富士山東口の社であったが、後に登山道の増設に伴い、南口登山道の冨士浅間の下宮として祭られた」とあります。
つまりは、須山口登山道の開設で鎮座した浅間神社ということになります。
室町時代の僧侶・道興(どうこう)が東国を回ったときの紀行文『廻国雑記』、文明18年(1486年)の項に「すはま口といふ所より冨士のふもとに至りて、雪をかき分て、よそにみし冨士の白雪けふ分ぬ 心のみちを神にまかせて」と記されているのが、最古の記録。
16世紀前半にこの地域を支配した戦国領主の武田氏は、須山浅間神社に太刀・具足・馬を奉納した際の寄進状が残されています。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で、須山口登山道と須山浅間神社は甚大な被害を受けます。
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この神社には「ハートの形をした小窓がある石灯籠」があり、その小窓をのぞき込むと「ハートの小窓の中にスッポリとおさまった拝殿」を見ることができます😊
階段を登り切った境内の左側の石灯籠です。
携帯で撮影しようと挑戦するとなかなか難しい。
このハートの小窓越しに神社を参拝している写真を撮ると縁起がいいとかご利益があるとか言われていて、パワースポットとしても話題となっていこの石灯籠は寛保2(1742)年に建てられた古く貴重なものであるとのことである。
この日も15時には間に合わなかった為御朱印は次の機会に。
お賽銭箱の横に月替りの御朱印のモチーフになってるアイテムが飾られており、どんな御朱印をいただけるのかとても楽しみな気分になります。
細かいところに参拝者へのご配慮を感じることのできる神社です⛩

須山の浅間神社は集落とは沢を隔てた柳沢の地に鎮座し、祭神は木花開耶姫尊である。慶長3年(1598)の社殿旧記によると、景行天皇(110)の時代、日本武尊が蝦夷征伐のとき、この地を訪れ浅間神社を創起し、更に欽明天皇13年(552)に蘇我稲目が再興したとある。
古くより山岳信仰として「富士山」をご神体として仰ぎ、当時の度重なる噴火とも関連し、山麓に浅間神社を祀り、岳神の霊を慰め奉ったのが始まりである。
天元4年(981)には平兼盛が神社を修理し、武門からの崇敬も厚く、建久4年(1193)この地で巻狩をした源頼朝を始め、武田信虎・勝頼、今川家代々の戦勝祈願。徳川時代になると小田原城主より毎年弊帛が贈られている。
何回かの修理を行っているが、現在残る社殿の棟札2枚のうち1枚は、大永4年(1524)と判読されるが、他の文面は判読できない。もう1枚は慶長16年(1611)霜月吉祥日、祢宜渡辺対馬守 同三郎兵衛尉 大工善兵衛尉と記されている。大永4年の棟札は静岡県東部では最古の棟札といわれている。


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