さのはらじんじや
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
佐野原神社ではいただけません
広告
佐野原神社の御朱印・御朱印帳
限定御朱印の書き込み
静岡県のおすすめ3選🍁
広告
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
のぶさん
2022年05月19日(木)
1567投稿
建武2年(1335)の箱根・竹ノ下の戦いで
佐野原の地で討ち死にした二条為冬を地元
の人々が亡骸を埋葬し、十三の塚を建てて
弔い、中でも為冬卿の塚を将軍塚と呼んで
崇敬してきたと口碑がありました。
明治維新によって実現した王政復古は
数百年前の理想の再現ということもあり、
建武中興以来の王政復古の流れの中で、
明治政府主導の御陵墓調査が実施されたが、
この将軍塚の他には現在の小山町にある
白旗神社でも二条為冬卿の墳墓の地を主張
していたので、その是非を調査するために、
明治7年(1874)明治政府の教部省は
将軍塚を調査させました。
しかし、建武中興の大いなる功労者である
為冬卿が祀られないばかりか、その事実さえ
十分に知られていないことに土地の人々は
大きな悲しみを感じていました。中央の
こうした動きに呼応して神社創建のために
立ち上がったのが、平松新田の服部大八、
須山村の渡邊隼雄、佐野村の岩崎佐十郞、
三好維堅、伊豆島田村の水口伝蔵の5人
であり、服部が中心となって懸命の努力や
また建武中興に尽くした皇族や武将を祀る
神社が明治になってそれぞれの縁の地に
次々に作られたことも影響して、平松新田
にあった将軍塚に佐野原神社創建および
十二の塚についても古跡を毀損しないように
保存することが政府によって指示されたこと
によって、明治9年(1876)2月27日に
佐野原神社が創建されました。
もっと読む
佐野原神社の御朱印・御朱印帳の写真一覧(32枚)
静岡県のおすすめ3選🍁
広告
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
2
0