むらやませんげんじんじゃ
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村山浅間神社ではいただけません
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
おすすめの投稿
炙りえんがわ
2024年04月01日(月)
34投稿
富士山本宮浅間大社の帰り道 表通りの渋滞が始まっていたので普段通らない裏道へ…
すると遠くに5~6部咲き程の🌸桜の木を発見!
同時に目に飛び込んできたのは鳥居!
神社の桜だ!これは行くっきゃない!
て事で急遽 立ち寄りお参りさせていただきました。
境内にはイチョウの巨木と樹齢1000の大杉。
とても神秘的でした。
のぶさん
2021年10月13日(水)
1508投稿
週末なら社務所開いてると思って伺いましたが緊急事態宣言中だった為閉まってました。
江戸時代までは、大宮(富士宮)の富士山本宮浅間大社に参拝し、湧玉池での水垢離(みずごり)で身を清めた後に、村山へ向かうのが一般的でした。
江戸時代までの神仏混淆の時代には、富士山興法寺と村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)があり、大宮・村山口登拝道や山頂の大日堂を管理していました。
富士山興法寺は、富士山での修験道の拠点として繁栄し、村山から富士山へ登る多くの修験者を集めていました。
富士講全盛の江戸時代には村山集落は修験者が住む地として繁栄していました。
村山浅間神社社殿は、明治の神仏分離で建立されたもので、現存する建物は鉄筋コンクリートによる再建。
明治初年に廃寺となった富士山興法寺の大日堂が現存。
江戸末期の建築で、正嘉3年(1259年)の銘がある大日如来坐像が祀られています。
また、境内には修験者が身を清めた水垢離場、石組の護摩壇なども残されています。
名称 | 村山浅間神社 |
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読み方 | むらやませんげんじんじゃ |
通称 | 冨士根本宮 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主・中座》木花開耶姫
《左座》 大山祇命,彦火々出見命,瓊瓊杵命 《右座》 天照大神,伊弉諾尊,伊弉冉尊 |
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体験 | おみくじ絵馬世界遺産御朱印お守り |
Wikipediaからの引用
概要 | 村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は、静岡県富士宮市村山にある神社。旧社格は県社。富士根本宮と号する。全国にある浅間神社の一社。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 鎮座地は大宮・村山口登山道の要所を占める。社伝によると孝昭天皇2年に富士山中腹の水精ケ岳に創建され、崇神天皇朝に神領地や神戸を賜り、応神天皇朝に社殿修造、大宝元年(701年)に現在地へ遷座したという。 中世になると末代上人が富士山を修験の霊山として開くが、その末代が現境内地に堂舎を構え、以後富士山に対する神仏習合の地として発展したという。元は富士山興法寺を構成する1つであり、付属する7坊を有して多くの修験者の信仰の中心として仰がれた。 駿河国を領した今川氏も深く崇敬し、天文2年(1533年)と同4年に氏輝が神領を安堵して山内諸末社のの賽銭を領することを許し、義元は職員を補任...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 東海旅客鉄道身延線富士宮駅から車で約20分。 |
引用元情報 | 「村山浅間神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%91%E5%B1%B1%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94402852 |
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最終更新:2024年04月18日(木)
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