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しろわじんしゃ

白羽神社の御由緒・歴史
公式静岡県 菊川駅

ご祭神《主》天津日高日子穂穂手見命,豊玉姫命,玉依比売命
ご由緒

旧社地は、御前崎市御前崎(厩崎)字本社に安閑天皇元年十一月鎮座。
仁明天皇承和元年三月神様のお諭しにより宮処を廻り相応の処を定め、承和四年二月現地に遷座した。
武門武将の崇敬篤く、源頼朝以来白羽地区全域が神領であり、市内佐倉地区に貫高二十九貫二百文の土地を有した。(之に要する用水池を今日も白羽池と称している。)
永禄年間、今川義元まで武将代々の朱黒印の寄進もあったが、元亀年間、武田信玄がこの地に出兵乱入の際、所伝の古文書類はもとより社殿等兵火に罹り、全て焼失したが、御神体のみ榛原郡川根本町白羽山に疎開、戦乱平定後、武田氏は神威を畏れ社殿を再建し、元亀三年十月十四日御神体を還幸した。
また、神主 滝玄蕃幸嗣は前々より神領所有の事情を武田氏(武田勝頼)へ上申し、天正二年七月九日付を以って神領を寄進せられた。
武田氏滅亡後は徳川氏の崇敬を受けて、慶長八年九月十九日付、朱印高一〇五石と改める寄進があり当地方最高位となった。このことについて近年白羽柑子との関係が脚光を浴びている。
太古より白羽大明神と称せられ、延喜式榛原郡五座の内白羽村鎮座の白羽大明神を以って服織田神社なりと考証されている。(『神名帳考証、巡礼旧神祠記、遠江国式内社摘考、大日本神祇志、遠江風土記伝、神祇志料、特選神名牒』等に依る)
また、当社附属の神宮寺もあり、神社所蔵の棟札に神宮寺社僧の名前が見え、当時社僧を置かれていたことが知れる。当社は延喜式に云う白羽官牧に発生した牧場(馬)の守護神として古来より馬持ちの参詣する者が多いために、祭典を白羽馬祭と称し、遠近より参詣の馬は何れも装飾の美を競い、境内は馬と人で埋まったと云う。近代、農業が機械化され、馬の姿すら見られなくなったが、馬は疾走中といえども絶対に人を踏むことのない霊獣であり、自動車交通安全にと信仰が変わっている。

遠江しるはの磯と贄の浦と
あいてしあらば
言もかよはむ
万葉集遠江歌  丈部川相

当社前方が海辺で、万葉歌人の詠まれたものを見ても、古来より名高い所であった。

明治六年三月       郷 社
明治四十四年八月十一日  神饌幣帛料供進社に指定
昭和五年二月十一日    県社に昇格
昭和二十一年十一月三十日 宗教法人令による神社を設立
昭和二十九年四月二十六日 宗教法人法による神社を設立登記した

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