ふはちまんぐう
府八幡宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
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【遠江國 式内社巡り】
府八幡宮(ふ・はちまんぐう)は、静岡県磐田市中泉にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は、誉田別命(応神天皇)、足仲彦命(仲哀天皇)、気長足姫命(神功皇后)。
社伝によると、奈良時代の天平年間(729年~748年)に遠江国司であった聖武天皇の曾孫・桜井王が庁舎内に創建と伝わる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 磐田郡 御祖神社 小」、「入見神社 小」、「須波若御子神社 小」に比定される、またはその論社となっている。鎌倉時代には秋鹿氏が当地に留まって神主となり、足利氏、今川氏、徳川家康から社領を寄進された。江戸時代には秋鹿氏が神主と代官を兼ねて250石を給せられた。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR東海道本線・磐田駅の北方、駅前通りを1km進んだ東側の平地にある。境内はかなり広く、全体に樹木が多くて包まれ感がある。大きな鳥居をくぐり林間の参道の先にある大きな楼門が特徴。社殿も大きく立派で、社務所も有人、江戸時代以来、大社として大事にされて来たことが分かる。兼務社も多いようで、当地域の中心となる代表的な神社のひとつだと思われる。
今回は、遠江國の式内社、静岡県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、家族連れやおひとり様など、ぱらぱらと絶えず参拝者が訪れていた。
※当社は、「遠江國 磐田郡 田中神社 小」に比定されている<田中神社>と、「遠江國 磐田郡 鹿苑神社 小」に比定されている<鹿苑神社>を兼務しており、両社のご朱印も拝受できる。
境内西端入口にある<鳥居>と<社号標>。磐田駅の北口駅前通りに面している。
鳥居をくぐって参道を東に進む。木々が高く緑が濃いので包まれ感がある。
参道右側の<手水舎>。
参道しばらく進むと、突き当りに<社務所>、左手に<楼門>が現れる。
<楼門>全景。江戸時代前期1635年の造営。入母屋造、杮葺の純和様建築の隋神門。楼門内の木造随身像も江戸時代初期の作。
<楼門>正面。かなり立派で趣のある外観。
楼門をくぐる。
楼門をくぐった先、参道左側にある<臨時授与所>。
社殿は一段高いところにある。その入口にある<中門>。楼門と異なり、禅宗様式。
楼門と同じ1635年の造営で、江戸時代後期の文化年間(1804年~1818年)に再建の記録がある。
<拝殿>全景。楼門や中門と同じ1635年の建立、1714年に再建。入母屋造。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。上部には小さな<八幡宮>と刻まれた扁額。
<拝殿>内部。当日は、ひな人形がいくつも飾られていた。
拝殿後ろの<本殿>。江戸時代初期1617年の建立。三間社流造。
本殿後方の末社群①。左から順に<狩尾神社>、<三保神社>、<皇子社・神明社>、<小笠社・金山社>、<宇治神社>。
本殿後方の末社群②。左から順に<水尾神社>、<稲荷社>、<住吉社>。
本殿後方の末社群③。<高良神社>、<武内神社>、<山神社>、<山口神社>の合殿。珍しいことに、社殿は精巧な模型になっている。
境内西端にある<東照宮>の鳥居。
<東照宮>の社殿。
東照宮の参道と本社社殿の間にある<伊雑宮>。
小高い場所にある<伊雑宮>の社殿。
最後に<社殿>全景。
社務所前に戻って、すぐそばにある<神宮寺跡>。
こちらは<社務所>。御朱印はこちら。兼務社の御朱印も先に拝受した~♪
(^▽^)/
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お正月の御朱印を拝受しに参拝させていただ
きました。
三が日も大分過ぎていましたのでゆっくりと
お詣りできましたが、県指定文化財の楼門は
相変わらずの威容を誇っておりました。
ところで今回、
拝殿でお賽銭を出そう財布を探したら、
あれ? 財布が無い!
と、後ろから「駐車場で落としましたよ」と、
ご親切な方に救われる、という失態を演じて
しまいました。
で、参拝を済ませ拝殿の横を見ると「ボケ封
じの宮」の看板が…。
境内社の一つ「武内社」には、ボケを封じる
御神徳があるそうです。
これは…と思い、しっかりとお詣りさせてい
ただきました。
正月限定の御朱印は15日までの授与だ
そうです。
楼門
拝殿
ボケ封じの宮とは…
境内社「武内社」
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府八幡宮は、聖武天皇の時代(天平年間729~748年)に遠江国司(守)であった桜井王が、国府の守護として勧請(かんじょう)したと社伝されている神社です。境内には江戸時代に建立された建物群が点在し、それを包み込む自然林は「八幡の森」と呼ばれ、静岡県の森百撰にも選ばれています。
府八幡宮の楼門は、衣冠束帯を身に着けた武官姿の随身像を左右に置いた随身門と呼ばれる2階建の門でありながら、下層には屋根がついていません。桁行3間で、中央1間を扉口とし、梁間2間からなり、控柱が前後に4本、計8本からなる八脚門です。桁行6.64m、梁間3.77m、高さ10.5mを測ります。幅2.9mの扉口の両側は2間からなり、後方の間に随身像が安置され、前方の間に玉石が敷かれています。8本の柱は円柱形で4本の貫板を組み合わせ、その上に虹梁(こうりょう)を載せています。虹梁を支えるため、 柱の上端には肘木(ひじき)・三手先斗(みてさきときょう)が、柱と柱の中間には蟇股(かえるまた)を駆使し、建物を堅固とするばかりか、桃山時代からの伝統を受け継いだ純和様の様式を残す優美な門と言えます。蟇股の内側には彫刻が施されていましたが、彫刻部分は取り外され、現在は東側の1箇所のみに見ることができます。
屋根は入り母屋造の杮葺き(こけらぶき)で破風(はふ)はハート形の猪の目懸魚(げきょ)が飾られます。軒は地垂木(じたるき)と飛檐垂木(ひえんだるき)からなる二軒(ふたのき)で、軒先が広がることで、建物そのものを大きく見せる効果をもたらしています。
正徳4年(1714)の「八幡宮古記」によれば、寛永12年(1635)に建立された記事があります。また徳川秀忠の娘である東福門院の寄進によって、楼門ほか本殿が建造されたとも伝えられています。
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