ふはちまんぐう
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府八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月21日(水)
参拝:2021年5月吉日
府八幡宮は、聖武天皇の時代(天平年間729~748年)に遠江国司(守)であった桜井王が、国府の守護として勧請(かんじょう)したと社伝されている神社です。境内には江戸時代に建立された建物群が点在し、それを包み込む自然林は「八幡の森」と呼ばれ、静岡県の森百撰にも選ばれています。
府八幡宮の楼門は、衣冠束帯を身に着けた武官姿の随身像を左右に置いた随身門と呼ばれる2階建の門でありながら、下層には屋根がついていません。桁行3間で、中央1間を扉口とし、梁間2間からなり、控柱が前後に4本、計8本からなる八脚門です。桁行6.64m、梁間3.77m、高さ10.5mを測ります。幅2.9mの扉口の両側は2間からなり、後方の間に随身像が安置され、前方の間に玉石が敷かれています。8本の柱は円柱形で4本の貫板を組み合わせ、その上に虹梁(こうりょう)を載せています。虹梁を支えるため、 柱の上端には肘木(ひじき)・三手先斗(みてさきときょう)が、柱と柱の中間には蟇股(かえるまた)を駆使し、建物を堅固とするばかりか、桃山時代からの伝統を受け継いだ純和様の様式を残す優美な門と言えます。蟇股の内側には彫刻が施されていましたが、彫刻部分は取り外され、現在は東側の1箇所のみに見ることができます。
屋根は入り母屋造の杮葺き(こけらぶき)で破風(はふ)はハート形の猪の目懸魚(げきょ)が飾られます。軒は地垂木(じたるき)と飛檐垂木(ひえんだるき)からなる二軒(ふたのき)で、軒先が広がることで、建物そのものを大きく見せる効果をもたらしています。
正徳4年(1714)の「八幡宮古記」によれば、寛永12年(1635)に建立された記事があります。また徳川秀忠の娘である東福門院の寄進によって、楼門ほか本殿が建造されたとも伝えられています。
府八幡宮の楼門は、衣冠束帯を身に着けた武官姿の随身像を左右に置いた随身門と呼ばれる2階建の門でありながら、下層には屋根がついていません。桁行3間で、中央1間を扉口とし、梁間2間からなり、控柱が前後に4本、計8本からなる八脚門です。桁行6.64m、梁間3.77m、高さ10.5mを測ります。幅2.9mの扉口の両側は2間からなり、後方の間に随身像が安置され、前方の間に玉石が敷かれています。8本の柱は円柱形で4本の貫板を組み合わせ、その上に虹梁(こうりょう)を載せています。虹梁を支えるため、 柱の上端には肘木(ひじき)・三手先斗(みてさきときょう)が、柱と柱の中間には蟇股(かえるまた)を駆使し、建物を堅固とするばかりか、桃山時代からの伝統を受け継いだ純和様の様式を残す優美な門と言えます。蟇股の内側には彫刻が施されていましたが、彫刻部分は取り外され、現在は東側の1箇所のみに見ることができます。
屋根は入り母屋造の杮葺き(こけらぶき)で破風(はふ)はハート形の猪の目懸魚(げきょ)が飾られます。軒は地垂木(じたるき)と飛檐垂木(ひえんだるき)からなる二軒(ふたのき)で、軒先が広がることで、建物そのものを大きく見せる効果をもたらしています。
正徳4年(1714)の「八幡宮古記」によれば、寛永12年(1635)に建立された記事があります。また徳川秀忠の娘である東福門院の寄進によって、楼門ほか本殿が建造されたとも伝えられています。
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府八幡宮ではいただけません
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