かばしんめいぐう
蒲神明宮静岡県 八幡駅
参拝/24時間
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 境内 |
浜松神社巡り②少しづつ中心部へ移動。大歳神社で少し情報を得ると、神職の方は常駐していないかも!当日は氏子さん達の集まりがあって、社務所には多くの方がいらっしゃりゃ、参拝時には清掃している方もいらっしゃりゃました。どなたも御丁寧な対応で、間違えて斎庭への戸が開いていたので立ち入ってしまった時も怒鳴るわけでもなく、恐縮してしまいました。外宮には拝殿からは正対しておらず、外宮鳥居からお参りすると良いかも。清掃中の氏子さんにお声掛けして御朱印を戴きました。
社号標
由緒書
境内社 秋葉神社
二の鳥居 一の鳥居は旧東海道にあるみたいです
天保四年(1833)奉納の灯籠
蒲桜伝説
平成八年(1996)奉納の灯籠
神橋
水は流れていませんでした
参道
境内社鳥居
境内社 祓戸稲荷神社
手水舎
手水盤
明治二年(1869)奉納の灯籠
境内社鳥居
境内社 厳島神社 御祭神∶市杵島姫命
灯籠
拝殿 御祭神∶内宮、天照坐皇大御神・外宮、豊受比売神
永隆社灯籠
境内社鳥居
境内社 五社稲荷神社
境内社 津島神社 御祭神∶須佐之男命
境内社 高宮 御祭神∶気吹戸主神(社殿なし)
令和二年造営の外宮本殿
外宮鳥居(令和ニ年、伊勢神宮別宮、月読宮拝領鳥居)
灯籠
平成十ニ年造営の内宮本殿
斎庭
境内社 伊雑宮 御祭神∶伊佐波登美命
御神木
【遠江國 式内社巡り】
蒲神明宮(かば・しんめいぐう)は、静岡県浜松市東区神立町にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は、天照大御神、豊受比売神ほか。
社伝によると、創建は平安時代初期の806年、藤原鎌足十世(ふじわらのかまたりじっせい)の孫、越後守静並(えちごのかみしずなみ)が伊勢神宮の神託を受け、当地・蒲を開拓し、美田550町歩を神宮に寄進して蒲御厨(かばみくりや)とし、神明宮を創建したのが始まり。以降、静並の子孫が神官として御厨の支配者を兼任し蒲氏を名乗ったとされる。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 長上郡 大歳神社 小」の論社となっており、他の論社には大歳神社(浜松市)がある。源頼朝の異母弟である源範頼は、当地で生まれ育ったため「蒲冠者(かばのかじゃ)」、「蒲殿(かばどの)」と呼ばれる。戦国時代には今川氏、豊臣秀吉、徳川家康などの武将に社領を寄進され崇敬された。明治時代に現在の「蒲神明宮」と改称し、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR東海道本線・浜松駅の北東2kmの市街地、平地にある。境内はかつて「袖紫ヶ森(そでしがもり)」と呼ばれただけあって、古木が林立する小さな森になっており、広い境内は神聖な雰囲気が漂っている。
今回は、遠江國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は平日の夕方で、参拝者は自分以外にはいなかった。
※当社到着時は16:50であったが、通常有人の社務所は閉まっており、御朱印は拝受できなかった。
境内南端入口全景。東西の幅は広くはないが、南北に長い境内。
鳥居の手前、左側の看板の後ろにある<秋葉神社>。
入口の<鳥居>と<社号標>。
参道をしばらく進むと、<神橋>が現れる。
神橋を渡ってすぐ右側にある<社務所>。御朱印は(たぶん)こちら。
社務所を過ぎたあたりから、<社殿>方向を望む。
参道右側にある<祓戸稲荷神社>の鳥居。
<祓戸稲荷神社>の社殿。
参道進んで左側にある<手水舎>。
手水舎の後ろには<御神木>の楠木がある。
手水舎近くから社殿を望む。社殿前は広々としていて、空がぽっかり抜けている。神聖な雰囲気。(o^―^o)
参道右側にある<辯財天厳島神社>の鳥居。
<辯財天厳島神社>の社殿。
<辯財天厳島神社>は池に浮かんでいる。
<拝殿>全景。神明造。大きく立派。
拝殿前右側に立つ説明書きによると、祀られているのは<内宮:天照坐皇大御神>、<相殿:天手力男命、萬幡豊秋津師比賣命>と書かれている。
<拝殿>正面。扁額は掛かっていない。
<拝殿>内部。広々として非常にきれいにされている。
拝殿近くの<五社稲荷神社>の鳥居。
<五社稲荷神社>の社殿。
社殿近くの<津島神社>。
建物はないが、説明板が立っている<髙宮>。
本殿を見ようと、拝殿の右側を進むと<鳥居>が現れる。
説明書きによると、この鳥居は2019年に伊勢神宮の月讀宮の鳥居を拝領したものとのこと。
また説明書きによると、祀られているのは<外宮:豊受比売神>、<相殿:国常立尊、天児屋根命、天太玉命>とある。
鳥居後ろの門からのぞいた瑞垣内部。門の前から奥の社殿を拝むことになるが、面白いことに、拝殿から見た本殿の線とクロスしている。非常に珍しい配置~♪ (o^―^o)
奥の社殿アップ。非常にきれいにされている。
瑞垣内に木々が茂っているため見えにくいが、こちらが<本殿>。
本殿近くにある<平和塔>。
<社殿>全景をもう一度。
参道脇には松の古木が立ち並んでいる。
本日の寺社仏閣巡りはここで終了。せっかく初めて浜松に来たので<うふぎ>をいただくことに。
食べログで<浜松市×うふぎ>で調べ、最寄りの名店へ。浜松駅近くの<八百徳本店>。浜松で食べると気分が全く違う。大満足~! (^▽^)/
浜松最古にして全ての願いをかなえる神様
浜松市東区、西遠女子学園の北側にある袖紫ヶ森の中に鎮座する社が浜松最古の神社、蒲神明宮である。藤原鎌足の子孫である越後守藤原静並公が伊勢大神のご神託を受け、蒲の生い茂るこの地一帯を開発し、初代蒲氏を名乗った。その後、大同元年(806年)この土地全てを伊勢神宮に寄進して神領とし、蒲御厨とした。そして伊勢神宮からご神体を分霊してこの地に蒲神明宮を創建したのである。以来、今川氏、豊臣秀吉、徳川家康と代々の将軍や武将に社領を寄進され、信仰された。地元ではご祭神である天照大御神を『ごしんさま』と親しみ敬っており、日の神として皇室や国民すべての崇拝の中心となるごしんさまは願いごとなら全てをかなえてくれるというなんとも頼もしいご利益があるそうだ。是非一度詣でてみたいものである。
藤原鎌足の子孫である越後守藤原静並公が伊勢大神のご神託を受け、蒲の生い茂るこの地一帯を開発し、初代蒲氏を名乗った。その後、大同元年(806)この土地全てを伊勢神宮に寄進して神領とし、蒲御厨とした。そして伊勢神宮からご神体を分霊してこの地に蒲神明宮を創建したのである。以来、今川氏、豊臣秀吉、徳川家康と代々の将軍や武将に社領を寄進され、信仰された。
名称 | 蒲神明宮 |
---|---|
読み方 | かばしんめいぐう |
通称 | ごしんさま |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 053-461-8591 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》天照皇大御神,《配》天手力男神,万幡豊秋津師比売命,豊受比売神,国之常立神,天児屋根命,天太玉命 |
---|---|
創建時代 | 開創は約1100年昔の清和天皇(第56代)貞観年中以前 |
創始者 | 藤原静並 |
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 藤原鎌足の子孫である越後守藤原静並公が伊勢大神のご神託を受け、蒲の生い茂るこの地一帯を開発し、初代蒲氏を名乗った。その後、大同元年(806)この土地全てを伊勢神宮に寄進して神領とし、蒲御厨とした。そして伊勢神宮からご神体を分霊してこの地に蒲神明宮を創建したのである。以来、今川氏、豊臣秀吉、徳川家康と代々の将軍や武将に社領を寄進され、信仰された。 |
体験 | 御朱印 |
概要 | 蒲神明宮(かばしんめいぐう)は、静岡県浜松市中央区の神社。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 平安時代に創建された。藤原鎌足から10代目の子孫「藤原静並」は、伊勢神宮の神託により当地に移住・開拓し、開拓地を神宮に寄進、神宮の御厨「蒲御厨」となり、その荘官となった。そして静並は神宮より分霊を勧請して神社を創建した。これが当宮の起源である[1][2]。 静並の子孫は当地に定着し「蒲氏」を名乗った。蒲御厨の支配権は鎌倉時代以降転々とするが、蒲氏は明治になるまで、当宮の神職を代々世襲した[1][2]。 ^ a b 蒲神明宮浜松市 ^ a b 静岡県日本史教育研究会 編『静岡県の歴史散歩(歴史散歩22)』山川出版社、2006年、282-283p |
アクセス | 交通アクセス[編集] 浜松駅より徒歩33分。 |
引用元情報 | 「蒲神明宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%92%B2%E7%A5%9E%E6%98%8E%E5%AE%AE&oldid=98974624 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
64
0