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浜松八幡宮ではいただけません
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浜松八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月14日(月)
参拝:2022年2月吉日
【遠江國 式内社巡り】
浜松八幡宮は、静岡県浜松市中区八幡町にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は、品陀和気命、玉依比売命、息長足姫命の3柱。境内には徳川家康が三方原合戦での敗走時に隠れて命拾いした「雲立の楠」がある。現在は国の天然記念物。
創建は不詳。社伝によると、仁徳天皇の御代、遠津淡海の鎮静のため、海運の神として玉依比売命を祀ったのが始まり。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 敷智郡 許部神社 小」の論社とされており、その他の論社としては息神社(浜松市)がある。938年に神託により、それまで鎮座していた許部の里(現・浜松市南区小沢渡町)から現在地へと遷座した。また1051年には源義家(八幡太郎)により八幡二柱の神が勧請され、武家庶民の崇敬を集めた。1570年に徳川家康が浜松城主となると、当社を鬼門守護の氏神として武運長久を祈り度々参拝、1572年の三方原合戦で敗走した家康は当社境内の楠の洞穴に潜み武田勢の捜索を逃れた。1603年に家康が征夷大将軍に任ぜられると社領50石を与えられ、以後幕府から歴世朱印を与えられた。明治時代に入り、近代社格制度のもと郷社に列した。太平洋戦争末期、1945年6月に米軍による浜松空襲により浜松市街地は焦土と化したが、当社は難を逃れた。
当社は、JR東海道本線・浜松駅から遠鉄電車で1駅の、八幡駅東口すぐの平坦な市街地にある。境内は広々としていて、とても旧郷社とは思えない。浜松空襲の影響がなかったというだけあって、境内は緑豊かで、特に社殿前に立つ、徳川家康が武田軍から隠れたという楠の巨木「雲立の楠」は見事。
今回は、遠江國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は平日の夕方で、参拝者は自分以外にも数人見掛けた。
境内南端入口全景。松の古木はいずれも高く、広々とした印象。
入口左側にある<社号標>。左隣の石碑には「天然記念物 雲立の楠」とある。
いよいよ鳥居をくぐる。扁額には「濱松八幡宮」とある。
参道右側にある<社務所>。御朱印はこちら。
参道進んで右側にある<手水舎>。
手水舎前から社殿を望む。樹木が邪魔で、右半分はよく見えない。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
参道右側の大木。幹枝が太く、八方に伸びる様はまるで八岐大蛇。
根本にある石碑には「東照宮御由緒 雲立楠」と刻まれている。
これが雲立ち楠の根周り。かなりの大迫力!(;゚Д゚)
<拝殿>全景。旧郷社としては、かなり大きな構え。
<拝殿向拝>全景。彩色はなく彫刻は少なく簡素。
<拝殿>正面。扁額は掛かっていない。
拝殿の右横から裏手に廻る。長い<幣殿>とその後ろに<本殿>。
<本殿>は大きな拝殿に比べるとややコンパクトか。
社殿の右側にある<稲荷神社の鳥居>。面白いことに3コースあるが、同じ社殿に辿り着く。
<稲荷神社>全景。
稲荷神社の右側にも参道がある。突き当りには<東照宮>がある。
<東照宮>全景。
東照宮、稲荷神社、本殿の配置はこの写真の通り。手前が東照宮。
もう一度、雲立楠を見に行く。まずは裏から。
次に表から。なかなかお目に掛かれない巨大サイズ。
境内南端入口から見た南方向の景色。使われていないが参道跡がある。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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