いずものおおやしろ
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楽しみ方出雲大社のお参りの記録一覧(13ページ目)

昨年の夏、コロナの谷間で山陰まで旅行。目的は出雲大社へのお参りでした。
久しぶりにお参りしましたが、境内のいたるところに「白兎」の石像がちりばめられており、
ほほえましい神社になっていました。
今回は、「大社は実は高層建築だった資料館」を見るのが楽しみでやってきました。
やっぱり、出雲は「別物の日本」が存在する場所だったのですね。確信しました。




日本神話で最も有名な「国譲り」に応じる条件として造られた壮大な社殿。
出雲大社の正式な読み方は「いづもおおやしろ」ですが、一般的には「いずもたいしゃ」と呼ばれます。今では“縁結び”の神様として大人気ですが、本来この“縁”は男女の縁だけではなく、神様の力で生きとし生けるものが共に豊かに栄えていくための結びつきを指します。
【カリスマ、大国主大神】
その偉大なる神様とは、祭神の大国主大神(おおくにぬしのかみ)。神話の昔、山陰山陽から北陸までの広大な地域を治め、葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを完成させました。しかし、神の国・高天原(たかあまのはら)からの天照大御神(あまてらす)の使者に「国譲り」を要請され、話し合いの末に大国主大神は幽冥界(死者の世界)の主となりました。話し合いと言われていますが、実際は武力による滅亡だったと推測されます。国を譲る代わりとしての条件が、大きな宮殿(出雲大社)の建立でした。
【二礼・四拍手・一礼】
参拝方法は一般と異なり、不思議なことに、「二礼・四拍手・一礼」を作法としています。この特殊な参拝方法は出雲大社と宇佐神宮のみに伝わる風習で、異説では「四拍手=死」の意味があり、古代のかなり大物な人物の霊廟である可能性があるようです。アマテラスとの戦いに敗れた大国主大神が、祟りを起こさないようこの出雲大社に封印されていることの暗示だという説があります。
【因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)】
この説話は、大国主大神がなぜ八十神(兄神)をさしおいて広大な国を束ねることができたかを説明する『古事記』の一部。
「因幡の白兎が島から島に渡ろうとして、和邇(ワニ※サメのこと)を並べてその背を渡ったが、最後の和邇に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを大国主神に助けられる」という部分が広く知られており、大国主の優しさとカリスマ性を示す一節となっています。

念願の出雲大社に来ました。
恥ずかしがりやな僕にとっては、人が少なかったのがなにより一番安心です。
3時間かけて来た甲斐がありましたよ。
ゆっくり観て回ることが出来ました。
流石、縁結びの神様ですね。
カップルが多い。
でもね、一人で来てたり、グループで来てたり、まちまちでした。
まぁ、僕はいつも一人なのですが・・・
お参りしまくりましたよ。彼女ほしぃって・・・。
拝殿・本殿の敷地の左隣りにある神楽殿。大注連縄で有名ですね。
もう、その規模に唖然としました。
すごすぎる。

拝殿で参拝して、終わりではなく、本殿でもお参りしました。
しっかりお願いしました。
いいことあるといいなぁ。
お願いします。

神楽殿での御朱印です。

拝殿裏での御朱印です。どうです? シンプルでいいでしょ???

御朱印帳も買いました。いやいや、素直にうれしいです。
来てよかった。
いやぁ、ホントにいい一日になりました。
ありがとうございました。

ずっと行ってみたかった出雲大社です。
寝台列車利用の弾丸でしたが、とても良かったです。

念願の出雲大社

神楽殿の大注連縄は圧巻でした!

素鵞社で稲佐の浜から持ち帰った砂を取り替えました。

神在月!
八百万の神々が集結する出雲に
お参りに行ってきました。
コロナに生活をかき乱された今年、
本当なら早朝の便で出雲に着き
近隣の一之宮も合わせて参拝したかったのに
減便で願い叶わず、正式参拝もできず。
うぬぬ…にっくきコロナめ。
怒りを飲み込み大社へ到着すると
普段は見向きもされないような
祓社から東西の十九社まで長蛇の列。
神在月だけ出雲に殺到する人々の浅ましさか
それとも人々の信心深さか…
私は後者を信じたいです😌

正式参拝すると授与される木札とお守りも
今回は授与所で授かりました。神在祭限定の肌守も入手、えんむすびの御守に天照大神とこちらの肌守りをダブルで入れて最強御守にカスタムするのです。ムフフ…

出雲大社(いずもおおやしろ)は、島根県出雲市にある神社。式内社(名神大社)、出雲国一之宮。旧社格は官幣大社、勅祭社、現在は神社本庁の別表神社。出雲國神仏霊場第1番(発願地)。
創建は不詳、神代とされる。古代より杵築大社(きずきたいしゃ)と呼ばれていたが、明治時代に入り出雲大社と改称。近代社格制度化において唯一「大社」を名乗った。
記紀(古事記・日本書紀)によると、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ;出雲大社の御祭神)の「国づくり」の大業に感激した天照大御神が諸々の神に命じて大国主大神のために壮大な天日隅宮(あめのひすみのみや)を建てたとあり、この天日隅宮が出雲大社にあたる。神話の中では、出雲大社は「太く深い柱で、千木が空高くまで届く」と形容され、これに相当する平安時代の平面図と遺構が発見されている。
参拝時は平日(金曜日)の昼で、コロナ期間中ではあるがGO TO キャンペーンもあり、参拝者はそれなりに多くいた。参拝にあたっては3日間、出雲縁結び空港でレンタカーを利用した。出雲空港から出雲大社までは20kmちょっと、30分ほどで到着。大社周辺には複数の大きな無料駐車場がある。
参拝上の留意事項としては、出雲大社では、二拝四拍手一拝の独特な作法で拝礼するとされる。

敷地入口に立つ<勢溜(せいだまり)の大鳥居>。ここから聖域が始まる<一の鳥居>にあたる。50年に一度新調される木製の鳥居で、2018年に建て直されている。

<勢溜の大鳥居>をくぐって振り返ると、遠くの低い場所(宇迦橋)に大きな鳥居が見えるが、これは大正時代に実業家が寄進したもので<一の鳥居>ではない。

<勢溜の大鳥居>から本殿まで1km弱の参道が伸びるが、この参道は徐々に下っていて、全国的にも珍しい<下り宮>となっている。自分の参拝したことがある範囲では群馬の上野国一之宮<貫前神社>ぐらい。宮崎の鵜戸神宮、熊本の草部吉見神社と合わせて<日本三大下り宮>と言うらしい。出雲大社が<下り宮>となっている理由については諸説ある。
参道の両脇は松の木で<日本の名松100選>にも選出。後ろにひかえる山は、御神体にして出雲大社の禁足地・八重山。

参道をしばらく進むと、右側に末社<祓社(はらえのやしろ)>が現れる。ここでまず、四柱の「祓戸の神」により日常生活の心身の罪汚を祓い清める。

下り参道を下り切って、素鵞川(そががわ)に架かる<祓橋(はらえのはし)>を渡ったところに<二の鳥居>がある。この鳥居は下をくぐる設定にはなっておらず、鳥居の両サイドに参道がある。なお、<祓橋>も穢れを落とす意味がある。

いよいよ本殿に近づくと、左手に手水舎が現れる。祓社、祓橋、手水舎で<三度の禊>が完成する。手水舎の裏手は社務所。

手水舎の近くにある御祭神<大国主大神>の像。別名は<だいこくさま>。手前は『因幡の白兎』の話で大国主大神が助けたうさぎ。

<三の鳥居>に当たる<銅の鳥居>。1666年長州藩第3代藩主・毛利綱広の寄進で、国指定重要文化財。出雲大社では、この<銅の鳥居>と荒垣で囲われた内側を<境内>と呼ぶ。

<銅の鳥居>をくぐると、左斜め前方向に<拝殿>が現れる。参拝者は各々ソーシャルディスタンスを意識して並んでいる。まずここで最初の参拝をする。

正面から。建物として非常に美しい造形。

拝殿のはるか後ろに本殿がある。拝殿と本殿を写真1枚に収めるとこんな感じ。

本殿(一番高い、黒い千木のある建物)は回廊や瑞垣で囲まれているため、やや遠くからの方がよく見える(近づくとほとんど見えない)。本殿は1744年の造営で国宝。本殿の手前に人だかりが見えるのは<御守所>。御守所の後ろの建物は<西回廊>で国指定重要文化財。

本殿の前に建つ<八足門>。国指定重要文化財。ここでも本殿を参拝する。

八足門の細部。蛙股の「瑞獣」や流麗な「流水文」などの彫刻は、江戸初期の伝説的彫刻職人・左甚五郎の作といわれる。

八足門近くの、拝殿の裏側にある<御朱印所>。初穂料の記載はなく巫女さんに「お気持ちで」と言われる。本来はこの方が正しいでしょう。

西側の<十九社(じゅうくしゃ)>。末社。国指定重要文化財。旧暦十月<神在月>に全国の神々が出雲大社の主祭神・大国主大神のもとに集まるが、その際の神々の宿となる。

2つの摂社<氏社(うじのやしろ)>。国指定重要文化財。出雲国造家(出雲大社宮司家)の祖先を祀る。

2つの氏社の奥に建つ<宝庫>。国指定重要文化財。

瑞垣の内側、本殿の手前に建つ<神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)/筑紫社(つくしのやしろ)>。国指定重要文化財。ちなみに、瑞垣自体も国指定重要文化財。

本殿西側にある参拝所。本殿により近いと、すごい人気で大行列。

本殿西側最奥にある<彰古館>。1914年新造開館した宝物館。

本殿裏手にある摂社<素鵞社(そがのやしろ)>。国指定重要文化財。大社の御祭神・大国主大神の父親である素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る。

素鵞社の後ろには巨大な岩(磐座)があって、素戔嗚尊が住む神聖な山・八重山と繋がっているため、出雲神社で一番のパワースポットと言われており、触ると御利益があるとのこと。

素鵞社の裏の軒下に砂の箱があり、<稲佐の浜>の砂を持参し供え、ここにある素鵞の社の砂を持ち帰ると清めのお守りになるとのこと。先に持参のルールがあり、自分はこの後<稲佐の浜>に行く予定のため、ここの砂は持ち帰れず。

本殿東側最奥にある<文庫>。1667年の新造した図書館。水戸光圀が『大日本史』の編纂に当たり佐々介三郎(助さん)をここに派遣。

<文庫>から本殿を望む。実際には、高く天にそびえる感じ。

<文庫>から本殿とその前方を望む。

瑞垣の内側、本殿の手前に2つの社があり、一つは<大神大后神社(おおかみおおきさきのかみやしろ)/御向社(みむかいのやしろ)>(左)。もう一つは<神魂伊能知比売神社(かみむすびいのちひめのかみやしろ)/天前社(あまさきのやしろ)>(右)。ともに国指定重要文化財。

末社<釜社(かまのやしろ)>。国指定重要文化財。御祭神・宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)は、素戔嗚尊の御子神で、食物を司る神。全国の稲荷社の御祭神。

東側の<十九社(じゅうくしゃ)>。末社。国指定重要文化財。西側の<十九社>と同じく、神在月に全国の八百万の神が参集した際の宿。

ふたたび本殿正面に戻る。写真右側の<観祭楼および廻廊>も国指定重要文化財。

<銅の鳥居>近くの<神牛>と<神馬>。新型コロナで「撫でないで」との注意書きが。

境内西側には、神楽殿へ続く門がある。

出雲大社のトレードマークとも言える<神楽殿の大しめ縄>。日本最大の大しめ縄で、長さ13.6m、直径(最太部)8m、重さ5.2トンとのこと。年間に約600万人もの人がくぐると言われ、2018年に6年ぶり7回目の新調がなされた。

神楽殿の参拝場所。

大しめ縄の大きさは、人の大きさと比べるとよく分かる。

参拝場所の左手、右手の両方にある授与所。御朱印はこちら。

神楽殿全景。神楽殿は1981年創建で、もともとは千家国造家(大社宮司家)の大広間。

道路からの神楽殿入口の右脇に建つ<金刀比羅宮>(左)と<祓社>(右)。

<銅の鳥居>から東方向に進んで境内を出て、<社家通り>を数百メートル行って小道を左折すると、摂社<神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのやしろ)/命主社(いのちぬしのやしろ)>に着く。天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られている。

命主社の手前には、推定樹齢1000年のムクノキの巨木がある。高さ17m、根本回り12mあり、根が発達して2m近く根上がりしている。生命力を強く感じる。

<銅の鳥居>まで戻って、ここから参道を<勢溜の大鳥居>まで戻っていく。
写真の<会所>は、手水舎・社務所の参道挟んで反対側にある。1667年造替。神職のお籠り潔斎、藩主などの参拝応接、月次連歌会など多目的に使用した建物。

<会所>の前に立つ、<大国主大神とその幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)>の「ムスビの御神像」。古事記および日本書紀に記載のある<国造りの大業>の話。ここから出雲大社には縁結びの御利益があるとされる。

<祓橋>の近くにある摂社<野見宿禰(のみすくね)神社>。御祭神の野見宿禰命は出雲国造の祖先・天穂日命の子孫で当時天下一の力士に勝ったことから国技大相撲の元祖、広くはスポーツの神、文武両道の神とされている。

<野見宿禰神社>の近くにある土俵。2013年の出雲大社・平成の大遷宮の時には、奉祝行事として、横綱の白鵬関や日馬富士関も土俵入りを奉納したとのこと。

去年に続いて今年も出雲大社に参拝に来ることが出来ました。やはり来ると凄く落ち着きます。また、来年も参拝に来ます。
昨日、稲佐の浜で浜辺の砂を頂いたので交換してきました。

一の鳥居

二の鳥居

参道は下ってます。

松並木


大国主命です。

三の鳥居

拝殿です。

御朱印はここで頂けます。

本殿です。

西から来た神様のお宿となる社です。



素鵞の社

素鵞の社の由緒書き

素鵞の社の下にある砂を交換する為の砂。奥の方の砂を頂きました。手前の白い砂は皆が稲佐の浜から頂いた砂を出して、奥の方から頂きます。

本殿裏の八雲山の唯一触れるパワースポットの石です。手で触れてパワーを頂きます。

ウサギさん

各所にウサギさん

ここにもウサギさん


東の方から来た神様が宿泊する社です。




畳75畳分の国旗です。きれいになびいてました。









狛犬

狛犬




大国主命です。

怪我したウサギさんが大国主命に助けてもらっている様子


沢山のウサギさんがいます?




灯籠の脚に亀がいます。

出雲大社に参拝
あいにくの雨でしたが、前日の居酒屋店主が
お天気の良い日よりも、雨の方が出雲大社らしいと言っていたのがよくわかります。小雨の出雲大社も良いですよ。見どころ満載で時間が掛かりますね、また来たいです。


稲佐の浜で砂をゲットしていざ出雲大社へ

祓社で穢れを落として行きましょう。

下り参道は珍しいそうです。

因幡の白うさぎ思い出しますね。

拝殿


十九社、神様のお宿だそうで

素鵞社、こちらで稲佐の浜の砂を交換して帰るとこの砂にご利益があるそうです。

御祭神である大国主大神が鎮座する御上座は西の方角を向いているそうでこちらが正面にあたります。神様を迎える為に稲佐の浜に向いているのではと言われています。


神楽殿の大注連縄


神楽殿

雨に煙る出雲大社もいいと思います。


初の島根県
初出雲大社
天気に恵まれ
とても歓迎されたと思いました。
日月神示の文中に
出雲の神様を大切に…
訪問した時はそれがどういう事なのか…
真の意味はわからなかった。
今の私は
それがわかる人になった。
だからこそ神社巡りを続ける。
神様に感謝

稲佐の浜に先ず行きました。






本殿の後ろにはスサノヲを祀る
大変人気の社

御朱印
出雲大社は左です。

こちらが有名な超巨大な、しめ縄
きっとこの場所に気づかない人が多いのでは?





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