まないじんじゃ
眞名井神社のお参りの記録一覧
創建不詳。
現在の拝殿は1934年の建築、本殿は1662年に再建されたものである。
手水
拝殿
拝殿
中門
拝殿・本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
児守神社
末那爲神社
神楽殿
明日は仕事なので今日は休みですが,妻を歯医者に送った後,暇なので車で🚙ウロウロしていたら,ふっと眞名井神社を思い出し(別に近いわけではないのですが…)久しぶりにお参りすることにしました。とても雰囲気が大好きな神社で,清々しい気持ちでお参りできました😊宮司さんはいらっしゃらなかったのですが,社務所にQRコードがあり,参拝証をデータで授与頂けました♪最近は色々なものがありますね😄
立派な社号碑です。
参拝します🙏
一ノ鳥居です⛩️
手水舎ですかね⁉︎天之眞名井引水とあります。
急な石段だ😵
なるほど,ちゃんと杖がある🧑🦯
たどり着きました。
拝殿です。他の神社と違って変わった造りですよね🧐
🙏
本殿と境内社です。
境内社です。
本殿です。
📸
神楽殿です。
神楽殿側から本殿を📸
境内社です🦊
神楽殿の扁額です。
本殿は県指定建造物とのことです。
社務所はお留守でした。このQRコードは⁉︎
参拝証をデータで授与頂けました。以前授与頂いた御朱印と印が違うなぁ。
🙏
10/7は意宇六社巡りの5社目は、松江市山代町に御鎮座する眞名井神社に参拝に行って来ました。
静かな境内の中でゆっくりとお詣りをさせて頂きました。残念ながら社務所は休みで誰もいませんでした。兼務社も勤めているみたいで不在の日があるので、不在の時にはこのQRコードにアクセスして下さいと書かれていたので、携帯でQRコードを撮影しアクセスしてみたら御朱印が出て来ました。いわゆるデジタル御朱印みたいな感じでした。実際に御朱印帳に書いて頂きたいのでまた来たいと思います。
御祭神は伊弉諾尊、天津彦根命の2柱が祀られています。
神名樋野(かんなびぬ)に鎮座する「イザナギさん」茶臼山(かんなびやま)の中腹に鎮座し、「出雲国風土記」や「延喜式」神名帳にも記載されている古社で、通称「伊弉諾さん」、参道を「伊弉諾馬場」と伝わって親しまれています。
中世の室町時代には、伊弉冊尊をお祀りする神魂神社と併せて「両神魂」とも称されています。
鳥居
真名井の手水
狛犬
狛犬
拝殿
神楽殿
本殿
狛犬
狛犬
祭神 伊弉諾命 天津彦根命
意宇六社のひとつ
鳥居からの階段 手すりが竹で作ってありました。
こういう拝殿の形は初めて見ました。土間床の造というそうです。
本殿 大社造檜皮葺
意宇六社めぐり五社目。
そろそろ夕方。参拝後真名井の滝にも伺った。
お宮さんからそう遠くなかったけどGoogle maps見ても全然分からなくて近くの会社の方に訪ねた。
〝良く聞かれるんですよ。“と丁寧に教えて頂きました。
畏怖堂々。
滝の前迄車で行けますが狭くて整備されてません。
お水は汲ませて頂きました。
真名井神社(まない...)は、島根県松江市にある神社。式内社、旧社格は村社。意宇六社の一社(参拝4社目)。
奈良時代の出雲風土記には「真名井社」、平安時代の延喜式神名帳には「出雲国・意宇郡・真名井神社」の記載がある。当社の御祭神が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と天津彦根命(あまつひこねのみこと)であるため、江戸期の文書では「伊弉奈枳社」「伊弉諾社」と記載がある。明治期に入り、現在の「眞名井神社」と改称。
背後の山は神名樋山(かんなびさん)といい、出雲国内四神名樋山の一つで、東南麓に「真名井の滝」がある。この滝の水は出雲国造の神火相続式や新嘗祭の際に用いられたとのこと。
当社は松江市の中心地から南東方向に6kmほどの場所に位置している。
参拝時は週末の午後で、人里離れた静かな社ということで、参拝者は他に1名(意宇六社巡りをしていると思われる人)しかいなかった。
社標。平地の山ぎわに入口がある。
鳥居。
意外と長くて急な階段。登り切るとすぐに拝殿。
他の社と異なる独特な<拝殿>。壁や天井がなく梁のみの土間床の造り。1934年建立。
社殿全景。
大社造、檜皮葺きの本殿。江戸前期の1662年建立。透塀で囲われているのは本殿のみ。
社殿左側にある<末那為(まない)神社>。
社殿右側は、<児守神社>に<穴道若宮社>、<山代神社>、<荒神社>を合祀。
(狛犬ではなく狐...?)
拝殿の右手にある<神楽殿>。社務所併設で御朱印はこちら。
神楽殿。内部は新しくてきれい。
最後にもう一度、本殿全景。
意宇六社の1つです。他は熊野大社・神魂神社・六所神社・八重垣神社・揖夜神社です。少し離れたところに眞名井の滝があります。静かで心安まる空間です。御朱印をいただいている間,眞名井の滝の事など親切な宮司さんに色々教えていただけました。ただ,帰宅してから気がついたのですが,御朱印の日付が明日になっていました…
宮司さんからいただいたパンフレットの表紙です。
同じくパンフレットの裏表紙です。アクセスや連絡先等あります。
パンフレット内の眞名井の滝の説明ページです。
いただいた御朱印です。眞名井の滝の説明など,とても丁寧に教えてくださった親切な宮司さんでした。ただ,日付が明日になっています… 帰宅してから気づきました。
意宇六社の一つ。
茶臼山城の麓に居られます。
意宇川から神社までの参道が一方通行になってて
交互に並行して伸びているのがちょっと珍しいかなと。
構え獅子の狛犬が青空に映えてとても迫力があります。
雨模様ではこれがしっとりとした雰囲気で
鳥居をくぐった瞬間に感じる静かな雰囲気とマッチしてこれもまた良いかなと。
まっすぐに伸びた石段を登ると大社造りの本殿が迎えてくれます。
東側に徒歩数分のところに滝があり、ここの水は出雲国造家の御祭などに使われ
「井」の字が滝の意味もあるとか、周囲に国府跡(六所神社)や四天王寺跡
古墳などあることから、このあたりが古代出雲の中心であったのではないかと
思いをはせてみるには最適な場所かなって思う。
#眞名井神社
ご祭神はイザナギの尊、アマツヒコネの命。
#天津彦根命
アマテラス大神の御子神は5柱。このうち長子のアメノオシホミミの尊が皇族の祖先だ。次男のアメノホヒの命はオオクニヌシの大神に仕え、その子孫が出雲の国造となった。
アマツヒコネの命はアマテラス大御神の3男。
古事記では”山代の国造”、日本書紀では”山代あたい”と呼ばれる豪族の祖とされる。訳注などを見ると、この山代とは山城の国、すなわち現在の京都市などを指すとある。
が、パンフには「当地の豪族である”山代あたい”の祖神ともいわれる」と。つまり”山代あたい”が出雲に住んでいたということだ。
まあ、京都に栄えていたからといって、島根にも住んでいたことと矛盾するわけではない。現にアメノフトダマの命を祖神とする忌部氏は、阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、安房(千葉県南部)など様々な場所に広がった。
ただ、出雲国風土記には山代という地名の由来が載っている。オオアナモチの命の御子にヤマシロヒコの命という神様がいて、彼が鎮座するからその地を山代と呼ぶそうだ。
ここではアマツヒコネの命は言及されない。
そう言えば、松江駅から熊野大社の方向へ向かうバスに乗った時、山代神社という看板が目に入った。参拝はしていないが、島根県神社庁によればヤマシロヒコの命を祀っているようだ。
主祭神として「伊弉諾尊」、「天津彦根命」を祀った大社造の本殿を持つ神社です。創建年代は不明ですが、延喜式には眞名井神社、出雲国風土記では眞名井社、雲陽誌には伊弉諾社の名で記載されています。
ただ、出雲国風土記に記載された神社名は諸説あって、必ずしも現在の真名井神社を示すものではないかもしれないとのことです。
鎮座地は出雲国風土記にも記載されている神名樋山(現在は茶臼山)東南の麓になります。
この地域一帯は大昔に栄えた中心的な場所になるので、巨大神殿を持つ神社や国分寺、府庁などが存在していました。
参道は自然石を使った長い石段なので、昔にタイムスリップするような感じでした。
社殿ですが、拝殿は1934年に再建されたもので床板のない土間床造り。古式の形態になりますね。本殿については1662年に再建されたもので、1974年に県指定有形文化財に指定されています。屋根が立派な檜皮葺きで感動しました。
境内は静かで神域に相応しく心が落ち着きます。今後も参拝を重ねていきたい神社でした。
鳥居と参道
手水鉢
参道
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
社殿全景
社殿全景
神楽殿内部
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