しんぎょうじ|浄土宗|獨留山
信楽寺島根県 松江駅
お参り、御朱印、可能時間
午前9時から午後4時まで(通年)
信楽寺(しんぎょうじ)とはなかなか読めない上に表通り(竪町)から中に入り、分かりにい場所です。そもそも戦があった時に入り口はせまく、中に入れば沢山の侍を待機させる意味もあり、お城を守る最前線の要塞でもありました。浄土宗は徳川家の菩提寺増上寺であるように、松平家との関係は特に深くあります。その長い歴史の間には三度の大火にあい、その歴史を留める物はほとんど無く、最後の大火を免れたのは山門のみであります。それもあって先代が約50年前に本堂を鉄筋コンクにしたのも納得できます。永代納骨供養塔など現在の複雑な家庭環境のニーズに合わせた施設もあります。どうぞ一度お参りください。
出張先での昼休みに、信楽寺さんにおまいりに行きました。
聖徳太子堂です。毎年7月22日から25日まで、お祭りがあるそうです。
ご住職様に2種類の御朱印を直書きしていただきました。
副住職さまには、お寺の中をいろいろ案内していただきました。
ご住職様、副住職様のどちら様にも、大変丁寧なご対応をしていただき、感激しました。
今度は夏に、旅行で訪れたいと思います
今日は良い天気ですので自転車🚴♀️で出発です☀️せっかくですので前からお参りしたかった信楽寺へ向かいます。ホトカミで見つけて気になっていたお寺で,五十年に一度の聖徳太子秘仏公開や,内田御住職さまが"こうちゃん"名義でホトカミに投稿されており,是非お会いしたく,お参りしました🙏実際にお会いすることができ,すごくお話ししやすく,丁寧で素敵な御住職様で,御朱印を,阿弥陀如来さまの通常のものと,聖徳太子千四百年大祭限定の御朱印の2つをいただきましたが,こうきりんですと自己紹介してから写真をお願いしたら,いくらでも撮ってください,是非ホトカミにあげてくださいと言ってくださり,とてもありがたかったです🙇♂️また,信楽寺の入り口が狭く,お寺の中が広がっているのは,虎口になっており,松江城防衛のための最初の要塞となっているから,と教えていただけました。まず,最初に信楽寺が外敵を防ぎ,その間に寺の後ろにある天神川の橋を落とし,信楽寺と天神川を抜かれたら寺町のお寺群が全て要塞となり,松江城を守る,という防衛構想が,かつて存在したとのことでした。確かにお寺と"武"というものは古来から縁の深いものだものなぁ🤔凄く興味深いお話でした😃また,聖徳太子千四百年大祭の聖徳太子像は来年7月22日〜25日の公開期間を見逃したら,また50年先になるとの事なので,来年は是非,聖徳太子さまに会いに行きたいと思います🤗こうちゃんさま,色々とありがとうございました🙇♂️またお参りさせてください🙏
着きました。
写経体験等できます🤗
山門が見えます。こうちゃんさん曰く,道に挟まれているところにお寺が鎮座しているのは,外敵が攻めてきた時,狭い道に誘い込み,境内に入ったところを一斉射撃で撃退する虎口の役割を果たしているとの事でした。松江を守る最初の要塞です。
ゆっくり念仏を唱えながら回してみました。願い事が叶うといいな😊
ここから本堂に入ります🙏
太子堂です。この中に聖徳太子像があります。
御由緒書きです。
お祭りの時にこのお堂を開くとの事ですが,太子さまの像は50年に1度しか観ることはできません。
太子堂のすぐ横にも太子さまがおられました🤗
寺務所です。
本堂の中には新型コロナウイルス対策の消毒液等ありました。
御朱印と一緒にハイチュウいただきました。2024年が浄土宗開宗850年で,その記念で森永製菓と浄土宗がタイアップしたものとの事です。
信楽寺の名前も入ってます。
ちなみに非売品です。こんな形で色々な人にお寺をアピールできるのはすごく素敵ですよね🤗たくさんの人が興味を持ってくれたらと思います😊
かの織田信長四天王滝川一益はじめ,嫡男一忠や滝川一族のお墓との事です。滝川一族は豊臣秀吉に追放された後,松江藩の御用商人となり,今でも本家は東京,分家は岡山にお住まいで,こちらのお墓にもお参りされているとの事でした🙏
最後に阿弥陀如来さまに🙏
開けてみました。
変わったパッケージですね🙏
おかしプリントですって😊
箱は大事に保管しておこうっと🤗
家族で美味しくいただきました😃
聖徳太子像50年に一度のご開帳という事で,本日家族でお参りしました🙏7/22〜25の4日間限定の日曜日という事で,たくさんの参拝客の皆さんで大賑わいでした😊内田御住職がいらっしゃったので挨拶させていただきましたが,昨年の11月に参拝して以来でしたが思い出していただきありがたかったです🙇♂️また写真を撮ってアップしてくださいと言ってくださいました☺️いつもは閉じている太子堂が開かれており,50年に一度しかお会いできない聖徳太子像を拝むことができました🙏次回は流石に無理だろうなと思うと,合わせる手にも力が入ります😅お忙しいなか,御朱印も授与いただき,大変ありがとうございました🙇♂️お忙しそうでしたので挨拶をせずに失礼しましたが,今後ともよろしくお願いします🙇♂️
山門に聖徳太子祭とあります🙏
境内も賑やかです
いつもは閉じている本堂も開かれています🙏
🪷
最後に合掌して帰りました🙏
信楽寺さんのホームページから転載しました。同じパンフレットをいただいて帰りました。
1月第3日曜日 新年会
春分の日 春彼岸会
7月22~25日 聖徳太子祭
8月4日 盆施餓鬼法要
8月23,24日 地蔵盆おつとめ
秋分の日 秋彼岸会
11月3日 十夜法要
12月第1日曜日 浄焚会(じょうぼんえ) 古い位牌、仏具など燃える物を供養した後お焚き上げします。
その他、毎月22日午後1時半から写経会
第2,4土曜日午後1時半からご詠歌の会
つきかげ会の住職の話を聴いてもらう会もあります。どうぞお尋ねください。
信楽寺と書いて(しんぎょうじ)と読みます。浄土宗のお寺です。総本山は京都の知恩院、大本山増上寺も浄土宗です。その増上寺が徳川家康公の菩提寺であるように、松江城の松平家と浄土宗との関係は深いものがありました。もともと広瀬町にあった信楽寺を移城の際にこの場所に構えられたのには、戦略上の意味が有りました。今でも入り口は狭く表の竪町の通りから見過ごしてしまいそうですが、それにも敵に一気に攻め込まれ無いように、中に入ると広々と多くの侍を待機できるようにとの意味があり、お城を守る為の最前線基地の意味もあったはずです。織田信長の四天王の家来の1人、瀧川左近一益の墓と伝わる瀧川家の墓もありますが、実際には一益の嫡男一忠の墓であるとの説もあります。その他、香西茂左衛門の墓、藩の典医をつとめた堀東風の墓、7代殿様不昧公の寵愛をうけ、漆壺斉(しっこうさい)の号を頂かれた小島清兵衛の墓などあります。どうぞお参りください。
名称 | 信楽寺 |
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読み方 | しんぎょうじ |
通称 | 聖徳太子ゆかりの寺 |
参拝時間 | お参り、御朱印、可能時間
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参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | トイレあります。お尋ね下さい。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0852211589 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://shingyouji.fun |
ご本尊 | 本堂 阿弥陀如来
太子堂 聖徳太子孝養像 |
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山号 | 獨留山 |
院号 | 至心院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 慶長年間 |
開山・開基 | 楽蓮社信誉慧伝和尚 |
本堂 | 約50年になる鉄筋コンクリート本堂 |
文化財 | 平成22年松江市文化財指定
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ご由緒 | 信楽寺と書いて(しんぎょうじ)と読みます。浄土宗のお寺です。総本山は京都の知恩院、大本山増上寺も浄土宗です。その増上寺が徳川家康公の菩提寺であるように、松江城の松平家と浄土宗との関係は深いものがありました。もともと広瀬町にあった信楽寺を移城の際にこの場所に構えられたのには、戦略上の意味が有りました。今でも入り口は狭く表の竪町の通りから見過ごしてしまいそうですが、それにも敵に一気に攻め込まれ無いように、中に入ると広々と多くの侍を待機できるようにとの意味があり、お城を守る為の最前線基地の意味もあったはずです。織田信長の四天王の家来の1人、瀧川左近一益の墓と伝わる瀧川家の墓もありますが、実際には一益の嫡男一忠の墓であるとの説もあります。その他、香西茂左衛門の墓、藩の典医をつとめた堀東風の墓、7代殿様不昧公の寵愛をうけ、漆壺斉(しっこうさい)の号を頂かれた小島清兵衛の墓などあります。どうぞお参りください。 |
体験 | 写経・写仏仏像傾聴御朱印祭り武将・サムライ花の名所有名人のお墓札所・七福神巡り伝説法話 |
感染症対策内容 | 非接触による体温測定
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