しらかたてんまんぐう
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菅原道真公を主祭神とする松江市街に鎮座する神社。御朱印書き入れいただきました。駐車場はありません。裏手の有料Pに止めるか、路駐です。








主祭神として「菅原道真公」を祀った神社になります。創建年代は保元年間(1156~1158年)と云われ、雲陽誌には天神の名で記載されています。
もともとは保元年間に出雲国へ守護として赴いた藤原景清(平景清)によって、安来市広瀬町の月山富田城内に鎮守として祀られたと伝わっています。その後、慶長年間(1596年~1615年)の松江開府の際、堀尾吉晴公によって月山富田城から現在の白潟の地に奉還されました。
拝殿と社務所の間には渡り廊下があって物凄く良い感じでした。境内は広く公園のような雰囲気で参拝される方も多く賑わいのある神社でした。社殿は立派なものですし、拝殿向拝の龍の彫刻が見事なものでした。木鼻の龍も素敵でしたね。
そうそう、境内には駄菓子屋風のたこ焼き屋さんがありました。何でも40年間受け継がれてきた老舗だそうで、松江市のソウルフードのひとつだとか。肝心のたこ焼きは、ふわふわでとろとろで美味しかったです。このとろとろ感は好みによって分かれるところかも。

一の鳥居と参道

手水舎

二の鳥居

拝殿

拝殿

拝殿内部

拝殿向拝

渡り廊下

本殿

本殿

本殿
授与品
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保元年間(1156〜1158年)、平忠度が出雲国を治めていた時、能義郡富田の庄(現在安来市)に富田城を築こうとし、奉行として剛勇の武将である平景清が下向したが、眼病にかかり苦悩が甚だしかった。そこで斎戒浄身し菅公に一心に祈っていたところ夢の中でお告げがあり、まもなく全快した。それからは厚く菅神を信仰し鎮座として富田城内に社殿を建立し祀った。以後富田城内に長く祀られていた。
その後、堀尾吉晴公が慶長年間(1603年ごろ)富田城を松江の亀田山(現在の松江城の地)へ移されることとなった。吉晴公は白潟に地を選び当社も奉遷された。奉遷後は、歴代松江藩主の厚い尊崇を受け、藩費により造営・維持が行われていた。廃藩後は門前町である天神町を始めとする市内外の多くの崇敬者により維持されてきている。
江戸時代以来庶民の崇敬も厚く、学問の祖神として広く信仰されているが、創建の故事から眼病の神として、配祀神の御神徳から病気平癒の神としても崇められている。
| 名称 | 白潟天満宮 |
|---|---|
| 読み方 | しらかたてんまんぐう |
| 通称 | 天神さん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 0852-21-1203 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://shirakatatenmangu.com/ |
| お守り | あり |
| SNS |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》菅原道真,《配》少彦名命 |
|---|---|
| 創建時代 | 保元年間(1156〜1158年) |
| ご由緒 | 保元年間(1156〜1158年)、平忠度が出雲国を治めていた時、能義郡富田の庄(現在安来市)に富田城を築こうとし、奉行として剛勇の武将である平景清が下向したが、眼病にかかり苦悩が甚だしかった。そこで斎戒浄身し菅公に一心に祈っていたところ夢の中でお告げがあり、まもなく全快した。それからは厚く菅神を信仰し鎮座として富田城内に社殿を建立し祀った。以後富田城内に長く祀られていた。
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| 体験 | お宮参り七五三 |
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