いかぐじんじゃ
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駐車場 | あり |
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御祭神は「伊香津臣命」。神武天皇に使えて総理大臣の役を果たされた天児屋根命第7代目の子孫にあたられる位の高い方で中臣氏らの祖先でもある方である。
九世紀の後半当神社の神官で伊香津臣命から第16代目にあたる伊香厚行という人は、菅原道真公と親交がありった。菅原道真公は幼少の時、余呉にある菅山寺で修業されたこともあり、伊香具神社を厚く信仰され、自筆の法華経、金光明経を奉納された。
~公式サイトより抜粋~
自分以外に参拝者はおらず、ゆっくりとお詣りさせて頂きました。お昼少し前でしたが、宮司の方に快く御朱印対応頂きました。感謝です🙏
伊香式鳥居
正面に大きく羽を広げたような鳥居は、三輪式鳥居と厳島式鳥居を組み合わせた当神社独特のもの
由緒書き①
由緒書き②
手水舎
力石
拝殿
本殿
招魂社
招魂社の社号標
独鈷水
三の宮神社
御朱印
書き置きを頂きました。
おまけ
トンボが飛んでいました‼️
【近江國 式内社巡り】
伊香具神社(いかぐ~)は、滋賀県長浜市木之本町大音にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。祭神は、伊香津臣命。
『近江輿地志略』によると、上古、当地が未開の湖沼地であったころ、祭神が当地に来て開拓し、その後子孫を守護するために鎮座したとのこと。社伝によると、飛鳥時代、天武天皇の白鳳10年以前に祭神の子孫である伊香宿祢豊厚が社殿を建立したとしている。国史である『日本三代実録』では平安時代の859年に神階昇叙の記載があり、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 伊香郡 伊香具神社 名神大」に比定されている。社伝によると、895年に菅原道真公が法華経や金光明経を手写して納め、「正一位勲一等大社大明神金剛覚印菩薩」の勅額を下賜したとしている。その後、室町時代には足利尊氏が200石の社領を寄進し、年3回の祈祷を依頼、領主・浅井氏も庇護したが、1583年の賤ヶ岳の戦いの兵火で社殿、古記録を焼失、社領も没収された。明治時代に入り、近代社格制度のもと、県社に列格した。
当社は、JR北陸本線・木ノ本駅の西方2kmの、背後に小山(賤ヶ岳)を控えた平地にある。琵琶湖との位置関係だと最北部東側。住宅もまばらな広々とした地域ではあるが、鳥居から社殿までが100m以上離れていて、往古の大きさが偲ばれる。社殿を中心に東西に横長の境内地も広々としている。特徴的なのは、日本に20基ほどしかない、境内入口の「三ツ鳥居」。拝殿はたまたま全面工事中のため、見ることができなかった。
今回は、近江國の式内社、滋賀県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内の100m以上南側にある<一の鳥居>と<社号標>。後ろの山は賤ヶ岳。
境内南端入口全景。
境内入口の<二の鳥居>。その形状は4本の柱で3つの鳥居を形成した<三ツ鳥居>。
二の鳥居をくぐって左側にある<手水舎>。
手水舎の後ろにある<社務所>。御朱印はこちら。
<拝殿>全景、となるはずが、全面工事中につき残念ながら見ることができず。タイミングが残念...(^_^;)
拝殿前左側の<狛犬>。激しい補修跡からすると、かなり古いものなのかな。
拝殿前右側の<狛犬>。
拝殿前にある<力石>。持ち上げるには現実的なサイズかな。
社伝の左手、社務所の右側にある建物。
拝殿後ろの<中門>と瑞垣で囲われた<本殿>。
中門の後ろの<本殿>。
本殿の左側にある、やや小さい社。社名は不明。
本殿の右側にある、やや小さい社。社名は不明。
社殿前右手にある<神馬>。
鳥居の右手離れた場所にある御神木クラスの極太の樹木。
境内の右側にある<伊香招魂社>の鳥居と社号標。
鳥居をくぐると、瑞垣で囲われた神域が見えてくる。
<伊香招魂社>の社殿。
伊香招魂社の右手にある<独鈷水(どっこすい)>。『伊香具神社由緒記』によると、こちらは弘法大師が国内巡錫の際に独鈷(祈祷用の法具)を用いて掘り当てた浄水源とのこと。
独鈷水の南側にある<神宮寺の蓮池>。当社は南北に奥行きはないが、東西に広々している。(^▽^)/
いかぐ神社⛩
奥琵琶湖の湖畔を通り、木之本に。
残念ながら海津の桜は終わってました。
伊香具神社さんの桜🌸はまだ早いかな?
八重桜見てみたい🌸
参道の桜、咲いてました☘️
今日暖かくなりいっせいに開花したみたいですよ😊
拝殿は修理中
お賽銭箱が分からなかったので、修復の志納金を入れさせて頂きました。
御朱印は書き置き、自分で桜のスタンプ押して下さいと渡して頂いたので、いっぱいの桜をイメージして3つ押して来ました🌸
お天気の良い日の琵琶湖は最高に綺麗ですね。
今の季節は山菜が美味しい😋
道の駅で沢山買い込んで、山菜三昧です。
美味しく頂きました☘️
一ノ鳥居⛩
長い参道
灯籠と桜のトンネル🌸
美しい💕
写真を撮っている方が多いので、シャッターチャンスが無いですね😅
コロンとした八重桜🌸
特徴のある鳥居⛩
招魂社
神宮寺の蓮池
拝殿再建ご協力のお願い
桜スタンプ🌸
自分で押すのも楽しいですね
歴史
古来伊香神と称し(興福寺官務牌疏)延喜式内名神大社に列る当郡開祭の租神である。上世此地に湖水あり田里未だ開けざる時、伊香津臣命が此地に来られて「吾此処に止りて永く末代を守るべし」(近江国与地志略)と子孫に告げてこの地を拓かれた。後伊香宿禰豊厚が社殿を創立して租神を祀ったのは人皇40代天武天皇白鳳10年以前の事というがそれ以前この土地には迦久土神を祭った小社があったのではないかと考えられる。それは今の本社地を西へ二百米ばかりの所に、迦久土神を祭った「意太」おふと神社と呼び小社があり式内の小社で、今は本社の摂社になっているが、その「おふと」が今の部落名の「おおと」となったものと考えられ本社の一名を大音明神と称することも、これに由来するものであろうと思われるからである。尚本社の背後の山の字名を、香具山と呼んでいることもその一証であろう。所でその後国史に見えるのは、3代実録巻2に「貞観元年正月27日甲申奉授近江国従五位勲八等伊香神従四位以下」同じく巻12に「貞観8年閏3月7日壬子近江国従四位下勲八等伊香神授従四位下」とある。この2箇所だけであるが、社伝では「寛平7年菅原道真法華経金明経を手写して之を納め、又奉して勅額を賜う。其文に正一位勳一等大社大明神と云う」とある。然し今も残るものがないのは残念である。後足利尊氏は次のような朱印状を寄せて祈祷を依頼し、此にもとづく祈祷は今も正月5日9月の18日に執り行われている。 足利尊氏朱印状写 毎年正59月能々可御祈祷事 一、弐百石御地蔵木之本の内 一、弐百石大音名神三郷之内 右如前ニ知行尤ニ候猶以山内太郎左衛門尉可申候如件 建武3年11月15日 尊氏判 木之本上人殿 大音神主殿 井伊氏の代になってからも按部の際は、必ず参拝して行ったと言う。明治8年郷社に列し、明治32年県社に昇格した。此地に特記すべきは、明治14年郡内の有志が願い出て境内に維新以後国離に殉じた人の英霊並に郡神職を祀った伊香招魂社を立て、以後毎年春秋の祭例を斎行し、特に昭和43年からは春の大祭に郡内に全遺族を招待して、挙行していることである。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。尚社殿や宝物は賤ヶ岳の兵火にかかって焼失し、現在の本殿、拝殿は、正徳年中の再建であるが、社務所は明治7年教部省の大教宣布の時、此の地方の小教院として建てられたものである。[滋賀県神社庁HPより]
名称 | 伊香具神社 |
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読み方 | いかぐじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0749-82-5554 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | tika3567@maia.eonet.ne.jp |
ホームページ | https://ikagu-jinjya.com/ |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》伊香津臣命 |
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ご神体 | 香具山 |
創建時代 | 白鳳十年以前 |
創始者 | 伊香宿禰豊厚 |
本殿 | 一間社流造 |
ご由緒 | 古来伊香神と称し(興福寺官務牌疏)延喜式内名神大社に列る当郡開祭の租神である。上世此地に湖水あり田里未だ開けざる時、伊香津臣命が此地に来られて「吾此処に止りて永く末代を守るべし」(近江国与地志略)と子孫に告げてこの地を拓かれた。後伊香宿禰豊厚が社殿を創立して租神を祀ったのは人皇40代天武天皇白鳳10年以前の事というがそれ以前この土地には迦久土神を祭った小社があったのではないかと考えられる。それは今の本社地を西へ二百米ばかりの所に、迦久土神を祭った「意太」おふと神社と呼び小社があり式内の小社で、今は本社の摂社になっているが、その「おふと」が今の部落名の「おおと」となったものと考えられ本社の一名を大音明神と称することも、これに由来するものであろうと思われるからである。尚本社の背後の山の字名を、香具山と呼んでいることもその一証であろう。所でその後国史に見えるのは、3代実録巻2に「貞観元年正月27日甲申奉授近江国従五位勲八等伊香神従四位以下」同じく巻12に「貞観8年閏3月7日壬子近江国従四位下勲八等伊香神授従四位下」とある。この2箇所だけであるが、社伝では「寛平7年菅原道真法華経金明経を手写して之を納め、又奉して勅額を賜う。其文に正一位勳一等大社大明神と云う」とある。然し今も残るものがないのは残念である。後足利尊氏は次のような朱印状を寄せて祈祷を依頼し、此にもとづく祈祷は今も正月5日9月の18日に執り行われている。 足利尊氏朱印状写 毎年正59月能々可御祈祷事 一、弐百石御地蔵木之本の内 一、弐百石大音名神三郷之内 右如前ニ知行尤ニ候猶以山内太郎左衛門尉可申候如件 建武3年11月15日 尊氏判 木之本上人殿 大音神主殿 井伊氏の代になってからも按部の際は、必ず参拝して行ったと言う。明治8年郷社に列し、明治32年県社に昇格した。此地に特記すべきは、明治14年郡内の有志が願い出て境内に維新以後国離に殉じた人の英霊並に郡神職を祀った伊香招魂社を立て、以後毎年春秋の祭例を斎行し、特に昭和43年からは春の大祭に郡内に全遺族を招待して、挙行していることである。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。尚社殿や宝物は賤ヶ岳の兵火にかかって焼失し、現在の本殿、拝殿は、正徳年中の再建であるが、社務所は明治7年教部省の大教宣布の時、此の地方の小教院として建てられたものである。[滋賀県神社庁HPより] |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ花の名所伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 伊香具神社(いかぐじんじゃ)は、滋賀県長浜市木之本町大音にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。神紋は「上藤」。 湖北随一の名社と称される。2月24日にオコナイが催される。 |
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歴史 | 歴史[編集] 上古、当地が未開の湖沼地であった頃、祭神が来て開拓し、その後子孫を守護するために鎮座したといい(『近江輿地志略』)、天武天皇の白鳳10年以前に子孫である伊香宿祢豊厚が社殿を建立したという(『神社由緒記[1]』)。 貞観元年(859年)に従五位上勲八等から従四位下に昇叙され[2]、同8年には従四位上に昇り[3]、延喜の制で名神大社に列した。社伝によれば、寛平7年(895年)に菅原道真が法華経や金光明経を手写して納め、同時に「正一位勳一等大社大明神金剛覚印菩薩」の勅額が下賜されたという[4]。 その後足利尊氏が200石の社領を寄せて正月、5月、9月の各18日に祈祷を行うよう依頼...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] オコナイ(2月24日) 例祭(4月6日) |
引用元情報 | 「伊香具神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E9%A6%99%E5%85%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=75717628 |
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