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ゆたにじんじゃ

湯谷神社
滋賀県 米原駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

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神祇伯
神祇伯
2025年02月20日(木) 21時34分40秒
1659投稿

米原市街の東側の山麓に立つ神社です。この地にやってきた出雲族の人が温泉を掘り当て、祖神である大己貴命さまの霊験であると信じ創建されました。後世には米原市の中心街は米原宿、その東西に3つの宿場町が置かれ、現代でも温泉旅館もあることから、長らくその神徳を発揮し続けている神社です。

湯谷神社(滋賀県)

《一の鳥居》
けっこう大きな鳥居があるんですが、雪が積もって近づけない…

湯谷神社(滋賀県)

《表参道》

湯谷神社(滋賀県)

《曳山祭の舞台》
当社の例祭は米原曳山まつりとして盛大に行われています。

湯谷神社(滋賀県)

《二の鳥居》

湯谷神社(滋賀県)

《手水舎》
なんか手水舎の水は使えないみたいです。

湯谷神社(滋賀県)

《由緒書き》

湯谷神社(滋賀県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
出雲族が祖神を祀ったと伝わることから大己貴命さまが主祭神となっていますが、大己貴命さまは全国の温泉神社でも掘り当てた伝承から祀られているところが多いです。これが果たして偶然なのか、それとも伝承を事実に合わせるなら出雲族が温泉を掘り当てる技術を持っており、各地で温泉作りまくったのか、そしてそれだけの歴史を持ちながら朝廷には認知されていなかったというのがこの神社の意外なところです。
ちなみに雪だったせいか書置きの御朱印は置いてありませんでした。

湯谷神社(滋賀県)

《春川稲荷神社》
いつもお世話になっておりまs(🤛

湯谷神社(滋賀県)

《六所神社》
明治に改称するまではこちらの社名でした。

湯谷神社(滋賀県)

《大神宮》

湯谷神社(滋賀県)

《末社》

湯谷神社(滋賀県)

《明治天皇小休所》
明治11年に明治天皇さまが北陸巡幸を行った際、当社で小休止をされました。温泉があったことを誰かが知っていた…?

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歴史

創祀年代は不詳である。古来六所権現と称したが、明治以後地名に因み、湯谷神社と改称した。上古出雲国人が諸国を巡ってこの地に至り、里人に池を掘らせると、霊泉が湧き出、又荒地を開墾したところ、五穀がよく成育したので、出雲の祖神大己貴命を小谷の岩上に奉斎した。温泉は万病に効くと伝えられ、崇敬者が多く、後に水門神、保食神を合祀したと伝えられている。輿地志略に「湯谷は昔此の地に温泉あり諸病を治す。或日葦毛の子を此の湯坪に洗いしより此の湯かるゝ」とある。後白河上皇の御代、日吉の社領となって、当社を山王権現社とも称せられた。今井備中守秀遠は、箕浦庄の地頭職として、当地を治めた故、当社を守護神と崇め、その一族米原氏も社殿を修理し、社領を献じた。文明3年米原山太尾城に激戦があり、当社は焼失したが、天文13年今井氏は、米原氏をして再興せしめ、大山咋命を勧請した。文禄4年岩脇氏は、社殿を修復し神門を寄進した。享保17年彦根藩主井伊直惟は社殿を再興し、手水鉢、木造狛犬を献じ、明治22年には、三条実美が社号額を寄せている。又境内には明治11年明治天皇北陸巡幸の際小休止された北村邸の行在所がある。大正7年村社に列し、同年神饌幣帛料供進指定となる。[滋賀県神社庁HP当神社ページの由緒書きより]

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湯谷神社の基本情報

住所

滋賀県米原市米原771

行き方

JR北陸本線・東海道新幹線、米原駅から徒歩約5分
北陸自動車道、米原ICから車で約15分

アクセスを詳しく見る
名称

湯谷神社

読み方

ゆたにじんじゃ

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレ表参道右手にあり
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きなし
御朱印の郵送対応なし
電話番号0749-52-3091
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 大己貴命
《脇祭神》
 保食神
 豊受大神
 宇迦之御魂神
 水門神
 宗像神
 速秋津日神
ご神体

不詳

創建時代

不詳

創始者

出雲国人

本殿

三間社流造

文化財

米原曳山まつり(県指定無形民俗文化財)

ご由緒

創祀年代は不詳である。古来六所権現と称したが、明治以後地名に因み、湯谷神社と改称した。上古出雲国人が諸国を巡ってこの地に至り、里人に池を掘らせると、霊泉が湧き出、又荒地を開墾したところ、五穀がよく成育したので、出雲の祖神大己貴命を小谷の岩上に奉斎した。温泉は万病に効くと伝えられ、崇敬者が多く、後に水門神、保食神を合祀したと伝えられている。輿地志略に「湯谷は昔此の地に温泉あり諸病を治す。或日葦毛の子を此の湯坪に洗いしより此の湯かるゝ」とある。後白河上皇の御代、日吉の社領となって、当社を山王権現社とも称せられた。今井備中守秀遠は、箕浦庄の地頭職として、当地を治めた故、当社を守護神と崇め、その一族米原氏も社殿を修理し、社領を献じた。文明3年米原山太尾城に激戦があり、当社は焼失したが、天文13年今井氏は、米原氏をして再興せしめ、大山咋命を勧請した。文禄4年岩脇氏は、社殿を修復し神門を寄進した。享保17年彦根藩主井伊直惟は社殿を再興し、手水鉢、木造狛犬を献じ、明治22年には、三条実美が社号額を寄せている。又境内には明治11年明治天皇北陸巡幸の際小休止された北村邸の行在所がある。大正7年村社に列し、同年神饌幣帛料供進指定となる。[滋賀県神社庁HP当神社ページの由緒書きより]

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