ほうごんじ
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宝厳寺ではいただけません
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宝厳寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月27日(火)
参拝:2024年8月吉日
西国三十三霊場巡りで竹生島に訪れました。高校生の時に遊びで来て以来です。
船に乗ってお参りというのは初めてで とても楽しみにしていました。
もちろん船には出航予定があるのですが 少し早く着いて のんびり待ちました。
船に乗っている時間は20分ぐらいだったと思うのですが あっという間でした。
竹生島は信仰の島として有名ですが 小さな島には 本当にお寺と神社しかありません。
境内は見事に立体的で 三段に分かれています。
観音堂は一番下。本堂は二段目。三重塔が三段目です。
宝物殿もありましたがもちろん撮影禁止です。
本堂もとても立派な建物ですが 個人的には観音堂と唐門が好きになりました。
唐門は国宝にも指定されていて 観音堂は重要文化財に指定されていました。
崖ぎりぎりに建っているため 写真で全景を収めることができませんでした。
とても広いとは言えない境内ですが 階段が楽ではないのでまあまあ時間がかかりました。
しかし昔の人はすごいです。こんな小島に こんなにも立派な寺院を建立したのですから。
山寺でもそうですが 現代でも重機を使ったとしても相当な月数を要する建築を どうやったのかタイムマシンでその様子を見てみたいものです。
暑い暑いと言いながらですが とてもすがすがしい気持ちになりました。
またお参りしたと思います。
山号は巌金山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は大弁才天 創建年は伝・神亀元年(724年) 開山は伝・行基 開基は伝・聖武天皇(勅願)です。
由緒については
宝厳寺は奈良時代 僧・行基が開創したとされている。
行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て 架橋 治水灌漑などの社会事業にも尽くし 民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり 近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。
宝厳寺の寺伝によれば 神亀元年(724年) 聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ 大弁才天を祀ったのが起源とされている。
しかし 承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には 行基の来島は天平10年(738年)で 小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。
同縁起によれば 天平勝宝5年(753年) 近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が 千手観音を造立して安置したとある。
当初は寺名を本業寺(ほんごうじ)といい 東大寺の支配下にあったが 平安時代前期 10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様 比叡山延暦寺の傘下に入り 天台寺院となった。
以降 島は天台宗の僧の修行の場となった。
とありました。
おや?真言宗では?
空海がやってきて改宗されるパターンかと思うのですが。
船に乗ってお参りというのは初めてで とても楽しみにしていました。
もちろん船には出航予定があるのですが 少し早く着いて のんびり待ちました。
船に乗っている時間は20分ぐらいだったと思うのですが あっという間でした。
竹生島は信仰の島として有名ですが 小さな島には 本当にお寺と神社しかありません。
境内は見事に立体的で 三段に分かれています。
観音堂は一番下。本堂は二段目。三重塔が三段目です。
宝物殿もありましたがもちろん撮影禁止です。
本堂もとても立派な建物ですが 個人的には観音堂と唐門が好きになりました。
唐門は国宝にも指定されていて 観音堂は重要文化財に指定されていました。
崖ぎりぎりに建っているため 写真で全景を収めることができませんでした。
とても広いとは言えない境内ですが 階段が楽ではないのでまあまあ時間がかかりました。
しかし昔の人はすごいです。こんな小島に こんなにも立派な寺院を建立したのですから。
山寺でもそうですが 現代でも重機を使ったとしても相当な月数を要する建築を どうやったのかタイムマシンでその様子を見てみたいものです。
暑い暑いと言いながらですが とてもすがすがしい気持ちになりました。
またお参りしたと思います。
山号は巌金山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は大弁才天 創建年は伝・神亀元年(724年) 開山は伝・行基 開基は伝・聖武天皇(勅願)です。
由緒については
宝厳寺は奈良時代 僧・行基が開創したとされている。
行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て 架橋 治水灌漑などの社会事業にも尽くし 民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり 近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。
宝厳寺の寺伝によれば 神亀元年(724年) 聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ 大弁才天を祀ったのが起源とされている。
しかし 承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には 行基の来島は天平10年(738年)で 小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。
同縁起によれば 天平勝宝5年(753年) 近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が 千手観音を造立して安置したとある。
当初は寺名を本業寺(ほんごうじ)といい 東大寺の支配下にあったが 平安時代前期 10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様 比叡山延暦寺の傘下に入り 天台寺院となった。
以降 島は天台宗の僧の修行の場となった。
とありました。
おや?真言宗では?
空海がやってきて改宗されるパターンかと思うのですが。
船乗り場
島に到着
こんな船で
石柱
まずは大きな鳥居
二の鳥居に宝厳寺の石柱
瑞祥水の手水
井戸
やはり 龍
観音堂へ続く道
読めない 菩薩様
唐門
彩色がきれいです
観音堂内陣
観音堂内陣 写せるぎりぎり
修業大師像
本堂に続く石段に石柱
まあまあ上ります
鐘楼
手水
ここも 龍
天狗堂
本堂
不動明王
本堂
内陣
内陣
内陣
弁財天社
三龍善神 とありました
さらに上へ
三重塔
雨宝堂
西国三十三所観世音奉安殿
内陣
内陣
楽寿観世音菩薩
ぼけ封じをお願いしました
唐門を見下ろして
本坊
竹生島神社へ続く回廊
唐門から見て
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2021投稿
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