ちくぶしまじんじゃ(つくぶすまじんじゃ)
竹生島神社(都久夫須麻神社)
滋賀県 マキノ駅
【近江國 式内社巡り】
都久夫須麻神社(つくぶすま~)は、滋賀県長浜市早崎町(竹生島)にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は、浅井姫命、市杵島比売命、宇賀御霊命。御神体は竹生島自体で、別名「竹生島神社」。神仏習合時代は宝厳寺と習合して「竹生島弁財天社」、「竹生島権現」、「竹生島明神」と呼ばれた。
『総国風土記』によると、古墳時代の459年に浅井姫命を祀る小祠ができたのが始まり。奈良時代の724年に天照大神の神託により市杵島姫命が祀られ、731年には聖武天皇が参拝され神殿を新築した。764年の藤原仲麻呂の乱の際には当社の神護により治乱したため、年号が天平神護と改められ、祭神に従五位の神位が授けられた。平安時代になって神宮寺として宝厳寺が建立されると、天台宗の僧が度々参拝するに及び「辨智」・「辨財」の利益を受けて辨才天信仰が盛んになっていった。1183年に平経正が当社の拝殿で仙童の琵琶で秘曲を弾じたことが『平家物語』や『源平盛衰記』に記されている。1232年、1453年、1558年に火災で社殿を焼失しているが、その都度再建している。1602年には豊臣秀頼が片桐旦元を普請奉行として伏見桃山御殿の一部を移し、現社殿を造営させた。明治寺時代に入り、近代社格制度のもと、県社に列格した。
当社は、竹生島南部の唯一の船着き場から海岸沿いに東方に向かった山の斜面にある。船着き場で船を降り、少し歩いてから拝観受付を通ると、「祈りの石段」と呼ばれる宝厳寺本堂への石段を少し登ったら右側(東側)に小さな鳥居があるので、そこをくぐって進むことになる。当社の境内地は広くはないが、高台に本堂、海に面した絶壁上に八大竜王拝所があり、その間のスペースに境内社がいくつかある。なお、かつての神仏習合の時代には当社と宝巌寺は不可分であったため、当社本殿はかつての宝厳寺・弁才天堂であり、現在でも宝厳寺観音堂とは渡廊下で繋がっている。
今回は、近江國の式内社、滋賀県の旧県社でであることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、自分が乗ったクルーズ船には30人ほどの乗客がいた。(この日は、天気は良いが風が強く、琵琶湖に波が立っていたため、他の船は来ていなかったみたい。自分が乗った今津港発着船も、午後は欠航とのことだった。)
竹生島クルーズ遊覧船から見た竹生島全景。
竹生島南岸に上陸してから、門前町風商店街を抜けて進む。
拝観券発売所に到着。
階段を見上げると<一の鳥居>があり、扁額には「竹生島神社」と書かれている。この後、順路は右方向に進む。
後ろの鳥居は宝厳寺の鳥居で、扁額には「巌金山」と宝巌寺の山号が書かれている。
一の鳥居の右側にある<二の鳥居>。
二の鳥居をくぐって進むと、右側(谷側)に港の綺麗な景色が見える。
参道右側にある<黒龍堂>。黒龍大神と黒龍姫大神を祀る。
さらに進むと左側(山側)に、宝厳寺渡廊(舟廊下)の舞台造が見える。
境内南側に廻って、国宝<本殿>全景。関白豊臣秀吉が時の天皇を迎えるためにその時代の粋を集めて造った伏見城内の「日暮御殿」を神殿として寄進したもの。
<本殿>は入母屋造前後軒唐破風付、周囲庇及び正面向拝1間付 間口3間 奥行3間。
<本殿>正面①。
<本殿>正面②。
<本殿>正面③。宝厳寺の唐門・観音堂・渡廊下を通ってくると、最初に見えるのはこの場所。
本殿の右下にある<江島神社・厳島神社>の鳥居。
<江島神社・厳島神社>の社殿。なお江島大神と厳島大神は、ともに竹生島大神(市杵島姫大神)と同神。
本殿の左下にある<天忍穂耳神社・大己貴神社>の鳥居。
<天忍穂耳神社・大己貴神社>の社殿。
本殿に向かい合うようにして建つ、境内南端の<八大龍王拝所>。
拝所の内部中央にある授与所。本来御朱印はこちらで拝受できるようだが、神職さんに聞くと、この日は領布しておらず、書置きもないとのこと。コロナの規制はないのになんでかな?(。´・ω・)?
建物内部の南側には<琵琶湖水神 竹生島竜神拝所>。
八大龍王拝所の南側には、琵琶湖に突き出た場所に宮崎鳥居が立っている。
八大龍王拝所に向かって右側にある<白巳大神>。表札には「金寶冨貴」の文字。(o^―^o)
白巳大神の隣にある<弁財天堂>。
最後に、国宝<本殿>全景。美しい造形。 (^▽^)/
令和2年7月、宝厳寺に続いて同じ竹生島の都久夫須麻神社へ⛩️
社伝によれば第21代雄略天皇3年(459 )、浅井比売命を祀る祠を建てたのが始まりという。
御祭神は市杵島比売命、宇賀福神、浅井比売命、龍神🐲
国宝の本殿は秀吉の伏見城「日暮御殿」を、秀頼が寄進・移築したもの。
コロナのためか御朱印はなし😥しかし現在は書置きが復活してるようで、いつかもう一度島に渡らねば⛴💨
竹生島へ向かう
龍神拝所が見えます👀
赤備え船「直政」
宝厳寺から船廊下を渡り
国宝の本殿
龍神拝所。かわらけ投げできます。
住所 | 滋賀県長浜市早崎町1665 |
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行き方 | ・長浜港 JR長浜駅から徒歩10分
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名称 | 竹生島神社(都久夫須麻神社) |
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読み方 | ちくぶしまじんじゃ(つくぶすまじんじゃ) |
通称 | 竹生島神社 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
ホームページ | http://www.chikubusima.or.jp/ |
ご祭神 | 《主》市杵島姫命,宇賀神,浅井姫命,龍神 |
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ご神体 | 竹生島 |
創建時代 | 雄略天皇三年 |
本殿 | 入母屋造 |
文化財 | 本殿(国宝) |
体験 | 御朱印国宝祭り |
概要 | 都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は、日本の近畿地方北東部の、琵琶湖に浮かぶ島である竹生島に鎮座する神社。現在行政区画上では滋賀県長浜市早崎町(旧・東浅井郡早崎村)に属する(※過去については『所在地』を参照のこと)。竹生島神社(ちくぶしま じんじゃ)とも呼ばれている。神体は竹生島そのもの。 神仏習合時代(本地垂迹時代)には、同島の宝厳寺と習合して、竹生島弁才天社/竹生島弁財天社( - べんざいてんしゃ)、竹生島権現( - ごんげん)、竹生島明神( - みょうじん)などと呼ばれていた。往時も今も「日本三大弁才天(日本三弁天)」の一つに数えられる。また、あまり知られていないが、「日本五大弁才天(日本五弁天)」の一つに数えられる。 式内社。旧社格は県社。神紋は巳。 |
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歴史 | 歴史[編集] 縁起[編集] 「近江国風土記#竹生島の伝承」も参照 竹生島遠景左手の水辺にあるのが竹生島港。そこから石造りの鳥居・朱塗りの鳥居を通って参道を上った所に宝厳寺と都久夫須麻神社がある。中央付近に見えるのが宝厳寺の伽藍。都久夫須麻神社の社殿で見えているのは、右手にある白い壁が目立つ改修時の建物(内部は拝殿)の奥にある本殿(向かって左)と常行殿(向かって右)[注 1]。また、白い建物の手前に八大竜王拝所の鳥居が見えている。周辺水域は琵琶湖のなかでも特に水深が深く、水の青が色濃い。緑豊かな島の景観は琵琶湖八景に「深緑 竹生島の沈影」として撰ばれている[字引 1]。[注 2] 本殿に...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 「竹生島#交通アクセス」を参照 |
行事 | 祭事[編集] ※主要な資料:“ご神事”. 公式ウェブサイト. 竹生島神社. 2020年2月22日閲覧。 歳旦祭 (1月1日) 節分祭 (2月3日) 祈年祭 (3月20日) 弥生祭 (4月) 竹生島講社大祭 (5月第2日曜) 竹生島祭 (6月10日-15日) 三社弁才天祭 (6月10日) 三社弁才天まつり[1]。当社の千五百年祭を機に始められた[2]。当社と共に「日本三弁天」に数えられる安芸の厳島神社・相模の江島神社(江戸時代までは金亀山与願寺と称した[3])から御霊代(分霊)を招き、二社の斎主と宝厳寺住職の奉仕を得て行われる、神仏混淆の形態をもった祭である[2][3]。遠く離れた三社...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「都久夫須麻神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%83%BD%E4%B9%85%E5%A4%AB%E9%A0%88%E9%BA%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98303519 |
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