おおもりじんじゃ
大森神社のお参りの記録一覧
東近江市で神社巡りに行ってきました。
社伝によると、天智天皇の御代が布引山麓に誉田別尊を勧請しました。後延暦3年比叡山の僧徳珍が、此の境内に伽藍を建て、薬師如来を祀り、玉尾山長福寺と名付けました。513年を経て、安元2年日吉山の十禅師大権現を勧請、更に元久年間白髪大明神として奉斎後、400余年の間、八町四方の社地がありましたが、元亀天正の兵火にあいました。八幡社のみを奉斎し、日吉山王より勧請の大神を現在の社地に奉遷、白髪神社と称し、産土神とし、更に猿田彦大神、玉依姫命を合祀、明治13年大森神社と改称しました。
元和8年山形城主最上氏が、当地に改易後、歴代の主が当社を崇敬され、延宝7年鳥居を建立、元禄6年梵鐘、神輿、燈籠を、文明10年拝殿を建立寄進された外、年々祭礼には最上氏より、10人の足軽を出し、長柄槍を捧げて、神輿渡御の警護をしました。
釣鐘堂(明和5年製)が境内に現存しています。
毎年4月の第1土・日曜日に「最上踊り」が行われ、大森神社(大森町)と八坂神社(尻無町)の祭礼に奉納しています。日の丸の扇にスゲ笠姿で踊ります。
大森・尻無の両町に伝承され、300年以上の歴史を誇る郷土芸能で、県の無形民俗文化財に指定されています。東北一の大名であった最上家がこの地に移封され伝わったのが始まりといわれ、明治維新までは旧暦3月3日に陣屋の馬場で、領内の若者が城主の御覧を賜るのが風習であったといわれています。
社号碑の前に、滋賀県名物の飛び出し坊や「とび太くん」がいました
参道
参道途中を県道が横切ります
県道沿いの社号碑鳥居
鳥居からの参道上に勧請縄
トリクグラズ
拝殿の中には沢山の絵馬が飾られています
菊の御紋と最上氏の家紋
小さな勧請縄
各社にも勧請縄が掛けられています
鐘楼堂
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