だいとくじ|臨済宗妙心寺派
大徳寺のお参りの記録一覧
滋賀県東近江地区の寺巡りの4寺目は、3寺目の蒲生郡日野町の北側に隣接する東近江市の能登川町に在る月光山 大徳寺です。
臨済宗妙心寺派で、本尊は聖観音菩薩。
この本尊・聖観音菩薩立像は市指定文化財です。
こちらのご住職はHPを作成されており、HPから拝観依頼をしてから伺いました。
こちらで今回の東近江地区の寺院巡りは最後となります。
余談ですが、能登川町は2006年に東近江市に編入合併するまでは神崎郡能登川町でした。この合併により東近江市は、東は鈴鹿山脈(峠を越えれば三重県)、西は琵琶湖に接する大きな市となりました。
南北朝時代の1369年に臨済宗東福寺派の禅寺として創建、開山は京都・東福寺の第50世の大方源用禅師。室町時代末期の永禄年間(1558~70年)に、この地の守護であった佐々木六角氏に絡む戦火により堂宇が焼失。その後の1676年に臨済宗妙心寺派の僧・密雲祖印が中興し、臨済宗妙心寺派に改宗、現在に至ります。
山門前に未舗装ですが広い駐車場がありましたので停めさせて頂きました。山門に茅の輪、余り寺院では見掛けませんね。山門をくぐると斜め右前に庫裏、斜め左前に本堂。左側には稲荷神社、地蔵堂、鐘楼。右側奥に弁財天。境内は綺麗にされています。
庫裏へ行って名前を告げると本堂へとの事で、本堂から上がらせて頂きました。本堂は建て替え後100年以上経っているそうですが中も外も綺麗です。
手を合わせながら須弥壇を見ると本尊・聖観音立像の中央の厨子は閉扉、これから開けて頂けるのかなと期待しながらご住職とお話をしていたら「本尊の厨子の開帳日とかは無く、寺の慶事の時に開扉する事になっています。」との事。口では、そうですか。と言いながら、心の中では、え~!そんなん聞いてないじゃん。メールの返信に記載してよ。と。仕方無いので掲げられている本尊の写真を見て我慢。
厨子の脇(厨子の一部)には小ぶりの毘沙門天像と地蔵菩薩像が安置してありますが、正面(南)を向いておらずにそれぞれ外側(西と東)を向いているのは何故でしょう?ご住職もわからないと仰有っていました。正確にはわかりませんがそこそこ古い時代(鎌倉時代?)のものと思えました。右の脇間には達磨大師像や中興の祖・密雲祖印像、左の脇間には西国三十三観音像が安置してありました。
最後に御朱印をお願いしましたが、対応されていないとの事でした。
本日対応頂いたお礼を申し上げて、帰路に着きました。
自宅への帰り道も朝と同様に思いの外、空いていて早く帰着出来ました。
山門
庫裏と本堂
稲荷神社
地藏堂と鐘楼
弁財天
本堂
本堂須弥壇
中央の本尊の厨子は閉扉
本尊・聖観音立像の写真
毘沙門天立像
地蔵菩薩立像
右側の脇間
東近江市で神社巡り中に見かけ寄らせていただきました。
応安2年(1369)に臨済宗東福寺派の禅寺として創建されました。開山は、京都五山の東福寺第五十世として住持した禅僧、大方源用禅師(1314~1390)です。
大方源用禅師の生誕地は、現在の滋賀県東近江市伊庭町であり、俗姓は源氏です。大徳寺は伊庭氏の菩提寺であったとされています。
永禄年中(1558~1569)、当地域守護の佐々木六角氏没落の際、兵火により境内建物が焼失しました。
その後、臨済宗妙心寺派の禅僧である密雲祖印により中興され、延宝4年(1676)臨済宗妙心寺派に改派し、現在に至ります。
また大徳寺は、近世臨済禅中興の祖と言われる自隠慧鶴(1686~1792)の高弟、東嶺円慈(1721~1792)が剃髪し、9歳から17歳まで過ごしたお寺だそうです。
既に門松が飾られています
弁財天
駐車場
令和3年の大晦日は夜中まで大雪のため、除夜の鐘を中止しました。
山門のライトアップがとても美しかったので、記録としてあげておきます。
令和3年大晦日、大徳寺の山門。
令和3年大晦日、大徳寺の山門。
令和3年大晦日、大徳寺の山門。
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