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正嚴寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月10日(火)
参拝:2024年12月吉日
東近江市で神社巡り中に寄らせていただきました。
元文4(1739)年、妙楽寺の転派の際に佛光寺派に残った信徒が創建した寺院です。
本堂には市の文化財に指定された「光明本尊」の掛け軸が残されています。
境内には水利殉難の川原崎助右衛門の顕彰碑があります。助右衛門は織田信長に伊庭川の用水確保を嘆願割腹し、信長はその思いを聞き入れたと伝わっています。
毎年、助右衛門の追弔法要が行われています。
お寺の裏に伊庭川が流れていて田舟が浮かんでいます。昔は「田舟」という水路を移動するための小舟が一軒に一船存在していました。集落内には縦横に堀・水路と呼ばれる川が張り巡らされ、人の移動も荷物を運ぶのも田舟だったそうです。
元文4(1739)年、妙楽寺の転派の際に佛光寺派に残った信徒が創建した寺院です。
本堂には市の文化財に指定された「光明本尊」の掛け軸が残されています。
境内には水利殉難の川原崎助右衛門の顕彰碑があります。助右衛門は織田信長に伊庭川の用水確保を嘆願割腹し、信長はその思いを聞き入れたと伝わっています。
毎年、助右衛門の追弔法要が行われています。
お寺の裏に伊庭川が流れていて田舟が浮かんでいます。昔は「田舟」という水路を移動するための小舟が一軒に一船存在していました。集落内には縦横に堀・水路と呼ばれる川が張り巡らされ、人の移動も荷物を運ぶのも田舟だったそうです。
川原崎助右衛門尉を顕彰した愛郷流水碑
琵琶湖大洪水の実際の水位を表示した説明板
明治29(1896)年の9月3日から
12日までの10日間雨が降り続き、琵琶湖が水で溢れて辺の集落が水没しました。伊庭は93日間(約3ヶ月)水没したという記録が残っています。
明治29(1896)年の9月3日から
12日までの10日間雨が降り続き、琵琶湖が水で溢れて辺の集落が水没しました。伊庭は93日間(約3ヶ月)水没したという記録が残っています。
正厳寺の裏には伊庭川が流れていて、田舟が浮かんでいます
水郷には カワトと呼ばれる水辺に降りる階段があります
昔は、ここで野菜を洗ったり、洗濯などをしていたそうです
昔は、ここで野菜を洗ったり、洗濯などをしていたそうです
すてき
投稿者のプロフィール
ゆきち2034投稿
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