おいすぎじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
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704年神霊が大杉の梢に降臨したのを祀ったのが始まりとされる。
1452年建立の本殿は重文指定されている。
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
祈祷所
大侍社・貴船社・良侍社・立神勝鬨社
大将軍神社・平森神社・児松神社
八幡神社
稲荷神社
稲荷神社
神門
滋賀の神社巡りの途中で寄りました。大杉に降りた神霊を祀って創建した神社で、降臨した杉は江戸期に嵐で折れてしまいましたが、その材木を使って神櫃を作って御神体となってるらしいです。
《一の鳥居》
文武天皇の御代に創建されたので、分類上では式外社とされます。
《二の鳥居》
☆チェックポイント!!
鳥居に掛かるしめ縄が竜を模しています。なかなかユニークですね。
《神門》
《外拝殿》
《末社群①》
本殿左側です。
《末社群②》
本殿右側です。
《手水舎》
《拝殿》
実はここにおもかる石があり、先に石に願いを念じて本殿に参拝し、そのあとに軽ければ願いが叶う、とのこと。
ちなみに私は重かったです…
《末社③》
八幡神社です。牛さんそこ仕える神様違うで。
《末社④》
稲荷神社です。
お世話になっておりま(ry
歴史
文武天皇慶雲元年に神霊が平森大杉に降臨せられ、後に社殿を造営し東西一郡の守護神となった。現在の社殿は享徳元年に佐々木の将家下笠美濃守源高賀により奉建され、享禄三年に改修されたもので、その間長享元年に将軍足利義高が参拝した。天文九年後奈良天皇より正一位の神位が贈られ正一位牛頭大明神、また下笠天王と称した。慶長六年徳川家康が戸田采女頭を膳所城主に封じた時、当地はその領地になり同八年に神領十石を寄進された。元和四年本田縫殿佐康俊が膳所城主となり、前例に従って社領が安堵され、以来代々城主より社領の安堵があった。
寛文十年暴風雨の為神木の老杉が倒木した、氏子等は名木を失ったことを嘆き、その材を用いて神櫃を造り御神体を之に納置奉安した。
明治二年老杉神社と改称、同九年村社に加列、大正四年神饌幣帛料供進指定。
本殿は明治三十九年に特別保護建造物に指定され現在重文。
特殊神事として、例祭にさんやれ踊りが奉納される。その他古神事に「おこない」があり、俗に「えとえと祭り」と称し二月十日より十五日まで斎行される
名称 | 老杉神社 |
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読み方 | おいすぎじんじゃ |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》素盞嗚命,稲田姫命,八王子命 |
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ご神体 | 神櫃 |
創建時代 | 文武天皇の御代 |
本殿 | 三間社流造 |
文化財 | 本殿(重要文化財) |
ご由緒 | 文武天皇慶雲元年に神霊が平森大杉に降臨せられ、後に社殿を造営し東西一郡の守護神となった。現在の社殿は享徳元年に佐々木の将家下笠美濃守源高賀により奉建され、享禄三年に改修されたもので、その間長享元年に将軍足利義高が参拝した。天文九年後奈良天皇より正一位の神位が贈られ正一位牛頭大明神、また下笠天王と称した。慶長六年徳川家康が戸田采女頭を膳所城主に封じた時、当地はその領地になり同八年に神領十石を寄進された。元和四年本田縫殿佐康俊が膳所城主となり、前例に従って社領が安堵され、以来代々城主より社領の安堵があった。
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体験 | 祈祷御朱印重要文化財祭り武将・サムライ伝説 |
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