こうみょうじ|真宗興正派|大放山
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真宗興正派 大放山 光明寺
鎌倉前期の貞永元年(1232年)、天台宗の道場として天台宗の智観により創建されたお寺です。
名前は號称寺(ごうしょうじ)と称していたそうです。
嘉禎元年(1235年)、浄土真宗の開祖親鸞聖人が関東より京都への途路、大衆のために法をとかれ、ここにしばらくご逗留になられたとか。
その後本願寺第八代蓮如上人の念仏の教えが盛んになり、寛正6年(1465年)にこれを良しとしない比叡山の信徒たちが大谷本願寺を襲い破却したとのこと。
永生6年(1509年)、細川高国と足利義澄との戦乱にて一時空地となっていたようですが、天正2年(1574年)に第13代住職の了永が跡地に本堂を再建し、新たに妙心寺と号したとのこと。
元和元年(1615年)に西本願寺第12代門主准如上人より、第16代住職了甫に光明寺の号を贈ったとのこと。
滋賀県草津市渋川1-6-15
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当寺は鎌倉時代前期の貞永元年(1232)に天台宗の道場として現在地に天台僧智観により創建され、號稱寺と称した。
嘉禎元年(1235)真宗の開祖親鸞聖人が関東より京への途路大衆の為に当寺にて法を説かれ、以来しばしば逗留された。
このような履歴のもと本願寺第八代門主蓮如上人も近江教化に努められたが、念佛の教えが盛んになった為、寛政六年(1465)比叡山の僧徒たちが本願寺を襲い、破却した。
このため蓮如上人は 金ヶ森(守山市)の道西のもとにのがれる途路、当寺第十代津田近江守昌国が上人を当寺に包い、僧徒の追走を阻むことがあり、その後蓮如上人はしばしば当寺にてご化導された。昌国はその化導により上人の弟子となり、法名を光念と賜り、本願寺に帰属する。
室町時代の戦乱で灰燼と帰し空地となっていた当地に天正二年(1574)第十三代了永が本堂を再建し、新たに妙心寺と号す。
徳川秀忠時代の元和元年(1615)西本願寺第十代門主准如上人より、当寺第十六代了甫に光明寺の号を賜る。以後本山の別院となり渋川御坊と称され膳所藩の藩主名代として触れ頭寺院の役割を果たし、飢饉の時は水奉行としての役割を代行したりした。
明治維新により寺院制度の改革により明治十三年(1880)一般末寺となり真宗興正派に属し現在に至る。
光明寺の情報
| 住所 | 滋賀県草津市渋川1-6-15 |
|---|---|
| 行き方 |
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光明寺の基本情報
| 名称 | 光明寺 |
|---|---|
| 読み方 | こうみょうじ |
| 通称 | 渋川御坊 |
| 電話番号 | 077-562-1631 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 大放山 |
| 宗旨・宗派 | 真宗興正派 |
| 創建時代 | 貞永元年(1232) |
| 開山・開基 | 智観上人 |
| ご由緒 | 当寺は鎌倉時代前期の貞永元年(1232)に天台宗の道場として現在地に天台僧智観により創建され、號稱寺と称した。
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