ひらのじんじゃ
平野神社のお参りの記録一覧
少し高台に鎮座している為、風が抜けていき、いくらか涼しく感じられます。蹴鞠の社としてよく知られ、滋賀県では唯一です。御祭神は平野大明神(第十六代仁徳天皇(大鷦鷯皇命:おほさざきのすめらみこと))と、精大明神(猿田彦命)とされています。蹴鞠は猿田彦命の関連で、仁徳天皇はあまり表に出てはいないみたいです。元はこの二柱は別に祀られていたもので、天智天皇7年(668)、天智天皇が大津に京を遷都した際、藤原鎌足に命じて仁徳天皇の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。一方、精大明神は皇極天皇の御代に京都西洞院滋野井に勧請されたのが始まりで、白鳳元年(642)に精大明神の御神託により大津本宮狐谷に遷座(現在はマンションの一角にその痕跡があります)、応仁の乱の兵火により多くの社殿が焼失し天正2年(1574)に現在地に更に遷座し平野神社の相殿となっています。京の蹴鞠を家職としている春日井家、難波家は江戸時代より、こちらの蹴鞠の行事には参加しているようです。
明治十六年(1883)奉納の社号標
文久元年(1861)奉納の蹴鞠之神社標
宝暦甲戌年(1754)奉納の灯籠
鳥居
由緒書
石段
灯籠
狛犬
狛犬
舞殿
手水舎
手水鉢
拝殿
文政八年(1825)奉納の灯籠
狛犬
拝殿越しの本殿
境内社 天満宮
宝暦八年(1758)灯籠
境内社 愛宕神社
境内社 大黒社 恵比寿社
境内社 常世神社 御祭神:大己貴命
境内社鳥居
境内社鳥居
眷属の狐
境内社 稲荷神社 末力神社などが合祀されています
#平野神社
ご祭神はオオサザキの皇命とサルタヒコの命。
#猿田彦命 #精大明神
別名、精大明神。パンフによれば「けまり」の守護神。もともと現在の京都市で祀られていたが、7世紀に大津市へ移され、16世紀に現在地に至ったと。
名前がよく似ているから僕は現に混同したが、精大明神と金精大明神は別物。各地の神社で金精大明神と書かれた祠を何度か目にしたが、ご祭神が明記されている場合は全てスクナヒコナの神だった。理由は知らない。
ところで、「けまり」の守護神が別にいるというのに、なぜサッカーの日本代表のロゴはヤタガラスなのか。長い間ビジュアルの問題と想像していたが、ある日とある寺院(神社ではない)でたまたま聞いた。ロゴの決定に影響力を持つ立場の人が三重県出身で、熊野にゆかりのある人だったそうだ。
ところで、滋賀県には同じくサルタヒコの命を祀る白髭神社(高島市)がある。こちらは同名の神社の総本宮。書籍にはよく、サルタヒコの命は伊勢の国(三重県)の地主神と書かれている。だがここ平野神社といい白髭神社といい、なりゆきとは思うけれど隣国・近江にも進出しているようだ。
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