ほんちょうじ|日蓮宗|妙光山
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京阪上栄町駅を越えてようやく市街地へ。最初にたどり着いたのが日蓮宗の本長寺。大津代官小野・石原両氏の菩提寺とのこと。境内はお盆ゆえにお墓参りらしき檀家さんがちらほら。まあ気にしても仕方ないので境内散策しながらお詣り。本堂お詣り後に庫裏へお邪魔。ご住職はもちろん出られており奥様が居られたので御首題をお聞きすると書置きですがいただけました😊ネット情報では宗祖作の大黒天を本圀寺から下賜されたとのことでこれはまた来ないといけないかな😅

由緒

山門と御題目碑

寺号表札

境内

本堂

鳥居。燈籠には妙見宮とあり

妙見宮

香炉が星型😲


扁額。かろうじて妙見宮


瀧元大明神

同扁額

浄徳善神と地蔵菩薩

秋山慈運神霊とある



如隆善神?

御堂がいっぱい

本堂扁額

日蓮宗 妙光山 本長寺
境内のすぐ近くを京阪京津線が通っており、県道558号線(東海道)から細い道を一つ入ったところに山門があります。
また直線距離で50mもないところに東海道五十三次の53番目の宿場「大津宿本陣跡」があります。
永禄5年(1562年)等覚院日壮上人の創建。
もとは延暦寺の里坊で天台宗寺院だったようですが、永禄5年に日蓮宗に改宗したとのこと。
江戸時代の大津代官である小野氏、石原氏の菩提寺として境内墓地にはお墓があるそうです。
また両氏の木造も残されているとのこと。

山門

本堂




大黒堂

妙見宮鳥居

妙見宮


瀧光大明神

浄徳善神

妙隆善神

境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
札の辻にある。日蓮宗。山号は妙光山。もとは下阪本にあり、延暦寺の里坊で、等覚院と称する天台宗寺院であったが、永禄5年(1562)等覚院日壮上人の代に日蓮宗に改宗。現在地に移転後、妙光山本長寺と改称したのが本寺のはじまり。日蓮宗弾圧のさなかの改宗ゆえに、大本山本圀寺より中本寺の寺格をあたえられ、宗祖自作の大黒天尊像を授けられた。大津代官として活躍した小野、石原両氏の菩提寺で、境内の墓地には小野氏歴代の大きな墓が並び壮観である。また俳聖・松尾芭蕉の門人で、地元大津の医師であった江左尚白(えさしょうはく)の墓もある。
歴史をもっと見る|| 名称 | 本長寺 |
|---|---|
| 読み方 | ほんちょうじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 077-522-7045 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 一塔両尊四師 |
|---|---|
| 山号 | 妙光山 |
| 宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
| 創建時代 | 不詳(天台宗) 日蓮宗改宗:永禄5年(1562) |
| 開山・開基 | 改宗開山:等覚院日壮上人 |
| ご由緒 | 札の辻にある。日蓮宗。山号は妙光山。もとは下阪本にあり、延暦寺の里坊で、等覚院と称する天台宗寺院であったが、永禄5年(1562)等覚院日壮上人の代に日蓮宗に改宗。現在地に移転後、妙光山本長寺と改称したのが本寺のはじまり。日蓮宗弾圧のさなかの改宗ゆえに、大本山本圀寺より中本寺の寺格をあたえられ、宗祖自作の大黒天尊像を授けられた。大津代官として活躍した小野、石原両氏の菩提寺で、境内の墓地には小野氏歴代の大きな墓が並び壮観である。また俳聖・松尾芭蕉の門人で、地元大津の医師であった江左尚白(えさしょうはく)の墓もある。 |
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