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せきせみまるじんじゃしもしゃ

關蝉丸神社下社
滋賀県 上栄町駅

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soo_cyan
soo_cyan
2025年08月16日(土) 22時45分57秒
3978投稿

関蝉丸神社下社へ到着。社号標を見つけてその先に目をやると・・・踏切すぐに鳥居😲京阪京滋線では参道を横切るのはいくつか見たことありましたが踏切にこんなに近いのは初めてですね😅しかもアスファルトやコンクリではなくホンマに参道なのでこれは車は入れないかな?形跡もなさげ。市街地に近くなったせいか上社に比べて境内もにぎやかに😊摂末社も多くお詣りしがいもあるがその分蝉丸色は薄くなっているかも・・・😅境内奥に小野小町塚があるようなのですが見落とし・・・また次回に😔

關蝉丸神社下社(滋賀県)

社号標。貴舩神社の社号も。

關蝉丸神社下社(滋賀県)

京阪の踏切の先に鳥居が😲

關蝉丸神社下社(滋賀県)

踏切すぐに看板・・・ゆっくり見れません🤣

關蝉丸神社下社(滋賀県)

蝉丸歌碑「これやこのゆくも かへるもわかれつゝ しるもしらぬも 逢坂の関」

關蝉丸神社下社(滋賀県)

手水舎

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

紀貫之歌碑「逢坂の関の しみつに影 見えて いまやひくらん 望月の駒」

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關の清水。今は残念ながら枯れています。

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關清水神社扁額

關蝉丸神社下社(滋賀県)

逢坂と言え真葛(さねかずら)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

拝殿

關蝉丸神社下社(滋賀県)

近江伝景図

關蝉丸神社下社(滋賀県)

龍神画

關蝉丸神社下社(滋賀県)
關蝉丸神社下社(滋賀県)

本殿

關蝉丸神社下社(滋賀県)

謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社

關蝉丸神社下社(滋賀県)

大神宮神社

關蝉丸神社下社(滋賀県)

石燈篭(時雨燈籠)由緒。

關蝉丸神社下社(滋賀県)

時雨燈籠(重文)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

歌碑

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

拝殿から鳥居の先に京阪電車が

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

内幣殿

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關蝉丸神社下社(滋賀県)

本殿

關蝉丸神社下社(滋賀県)

中臣稲荷神社

關蝉丸神社下社(滋賀県)

正岡子規と星野椿解説

關蝉丸神社下社(滋賀県)

なんだろう?

關蝉丸神社下社(滋賀県)

神輿庫

關蝉丸神社下社(滋賀県)

貴舩神社

關蝉丸神社下社(滋賀県)

關清水蝉丸神社と貴舩神社の社号碑

關蝉丸神社下社(滋賀県)

天満宮

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歴史

 社記によると、当社の創祀は、嵯峨天皇の弘仁十三年(八二二)と伝えられている。小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりとされている。鎮座する逢坂山は京都と滋賀の境に当り、琵琶湖と京都・畿内を結ぶ交通の要所として栄えていた。この立地から、国境神・坂神・手向神(道祖神)、さらに逢坂の関の守護神としても崇敬されていた。また、京の都に悪病が流行らないように疫神祭が斎行されていたという。貞観十七年(八七六)には従五位下の神階が授けられ、六国史に記載がある国史見在社である。
 平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された。合祀は天慶九年(九四六)とも平安時代末ともいわれている。その後、蝉丸伝承は時代と共に全国各地へ広まり、天禄二年(九七一)に綸旨が下賜されると、歌舞音曲の神として信仰されるようになり、次第に音曲を始めとする諸芸に関係する人々の信仰が厚くなった。
 江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国的規模で増加した。昭和五年(一九三〇)には郷社に列格した。

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關蝉丸神社下社の基本情報

住所

滋賀県大津市逢坂1-15-6

行き方

JR琵琶湖線「大津駅」より徒歩10分
京阪京津線「上栄駅」より徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称

關蝉丸神社下社

読み方

せきせみまるじんじゃしもしゃ

通称

関蝉丸神社

参拝時間

境内自由

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号077-524-2753(滋賀県神社庁)平日 9時 ~17時(橋本宮司)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://semimaru.ehoh.net/index.html
SNS

詳細情報

ご祭神主祭神:豊玉姫命
相殿;蝉丸靈
創建時代

弘仁13年(822)

創始者

小野岑守

本殿

〔本殿〕一間社流造 間口一間三尺 奥行二間 〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行二間三尺

文化財

【国指定重要文化財】時雨燈籠

ご由緒

 社記によると、当社の創祀は、嵯峨天皇の弘仁十三年(八二二)と伝えられている。小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりとされている。鎮座する逢坂山は京都と滋賀の境に当り、琵琶湖と京都・畿内を結ぶ交通の要所として栄えていた。この立地から、国境神・坂神・手向神(道祖神)、さらに逢坂の関の守護神としても崇敬されていた。また、京の都に悪病が流行らないように疫神祭が斎行されていたという。貞観十七年(八七六)には従五位下の神階が授けられ、六国史に記載がある国史見在社である。
 平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された。合祀は天慶九年(九四六)とも平安時代末ともいわれている。その後、蝉丸伝承は時代と共に全国各地へ広まり、天禄二年(九七一)に綸旨が下賜されると、歌舞音曲の神として信仰されるようになり、次第に音曲を始めとする諸芸に関係する人々の信仰が厚くなった。
 江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国的規模で増加した。昭和五年(一九三〇)には郷社に列格した。

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