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てんそんじんじゃ

天孫神社
滋賀県 大津駅

9時より19時
御祈祷の申し込みは18時まで

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きどっち
きどっち
2022年06月05日(日)1507投稿

JR琵琶湖線「大津」駅から北へ徒歩で約8分ほど、近くには滋賀県庁やNHK大津放送局などが立ち並ぶ街の中に鎮座する神社です。
大きな神社ではありませんが、境内は多くの木々に囲まれていて、とても静かな空間でした。

この日は朝イチで大津駅に降り立ち、まず最初に天孫神社へ。
社務所にて宮司様に御朱印を書いていただきながら、少しばかり他の神社で拝受した御朱印のお話などさせていただきました。
その後、「今日はこれから歩いて周辺をいろいろとまわってきたいと思います」とお話したところ、「気をつけていってらっしゃい」と声をかけていただきました。

奈良時代(782年頃)の創建と伝えられています。
この天孫神社は四度遷しているそうで、最初は伊勢屋町北方に鎮座していたようですが、洪水や火災による焼失によって四度目に現在地に遷されたとのこと。

御祭神
 彦火々出見命 大名牟遅命 国常立命 帯中津日子命

こちらは四ノ宮神社とも呼ばれているそうで、その理由はいくつがあるようですが、
・四柱祀られているから
・近江の国には神徳の厚い社があり、一宮~四宮と称されていた
  一宮:建部大社
  二宮:日吉大社
  三宮:多賀大社
  四宮:天孫神社
明治維新の際に「天孫神社」と改称されたそうです。

豊臣秀吉が大津城を築城する際には、その余材をもって当社を修復されたそうです。

天孫神社の御朱印

御朱印

天孫神社の鳥居

表門鳥居

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例祭・神事

10月10日 例祭(大津祭)

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歴史

当社は延暦年間に創祀と伝えられるが、其後の沿革は明かでない。古伝によると大同三年に平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在地とてして禊祓された。また建久年間近江守守護職佐々木定綱が社殿造営、神田の奉納があった。また元亀年間栗太郡青地の城主青地伊予守より社領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際その余材をもって当社を修復された記録がある。
社号はもと四宮神社、天孫四宮大明神と称され、現在も一般に四ノ宮と呼ばれている、これは彦火火出見尊外三柱と四神を祀る為とか種々説がある。当社はもと大津市の中心にあり、その産土神となっているが、鎮座地は周辺にあまり人家はなく湖岸一帯は葦原沼と称され、四宮五座として本社の境域を劃していたが、天正十三年坂本城を此地に移して大津城と改称するに至り、当社はその地主神である為、市街の発展と共に全域下の鎮護神、全町民の産土神となって神威を発揚し、これが十月十日(旧九月十日)四ノ宮祭となり、記録によると曳山祭は慶長年中に始まり、街の発展人口増加に従ってその数を増し、元禄年中に大体現町名が整って、京都の祗園会を彷彿させる神輿二基鉾山十四基による優美な巡行が斎行される様になった。尚この祭礼には代官所並総年寄町年寄等の役人も協力奔走し、又大溝藩主分部候よりも特に鎗二本を出して渡御警護に当る等上下崇敬の厚かったことがわかる。又当社は日吉山王の信仰と深い関わりがあり、山王祭には当社と日吉神社の間に大榊の神事があり、即ち四月三日の夜当社より日吉神社に多数が赴き、日吉の大榊を持ち帰り、これを「しんの御榊」として拝殿に祀っておき、山王祭の四月十四日にこの大榊を引いて再び日吉神社に返す神事で、この大榊が帰って初めて山王七基の神輿が唐崎に神幸するのである。
この大榊の神事は、日吉の祭も白鳳年中より延暦九年までは神輿は無く榊を以て渡御していた名残とする説や、当社の氏子が山王信仰の顕現として夜密かに日吉神を榊に遷して盗み帰り崇拝したもの等種々伝えられるが、これを儀式化した神事である。
明治四十一年神饌幣帛料供進指定
大正四年県社に列格

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天孫神社の情報

住所滋賀県大津市京町3丁目3-36
行き方

JR東海道本線・大津駅より徒歩で約8分
京阪電鉄石山坂本線・島の関駅より徒歩で約8分
名神高速道路 大津ICより車で5分

天孫神社の基本情報

名称天孫神社
読み方てんそんじんじゃ
通称四宮さん(四ノ宮神社)、四ノ宮大明神
参拝時間

9時より19時
御祈祷の申し込みは18時まで

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号077-522-3593

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.tensonjinja.jp

詳細情報

ご祭神《主》彦火火出見命,《配》大国主命,国常立命,帯中津日子命
創建時代782年~806年(延暦年間)
本殿三間社流造 間口三間 奥行二間
ご由緒

当社は延暦年間に創祀と伝えられるが、其後の沿革は明かでない。古伝によると大同三年に平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在地とてして禊祓された。また建久年間近江守守護職佐々木定綱が社殿造営、神田の奉納があった。また元亀年間栗太郡青地の城主青地伊予守より社領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際その余材をもって当社を修復された記録がある。
社号はもと四宮神社、天孫四宮大明神と称され、現在も一般に四ノ宮と呼ばれている、これは彦火火出見尊外三柱と四神を祀る為とか種々説がある。当社はもと大津市の中心にあり、その産土神となっているが、鎮座地は周辺にあまり人家はなく湖岸一帯は葦原沼と称され、四宮五座として本社の境域を劃していたが、天正十三年坂本城を此地に移して大津城と改称するに至り、当社はその地主神である為、市街の発展と共に全域下の鎮護神、全町民の産土神となって神威を発揚し、これが十月十日(旧九月十日)四ノ宮祭となり、記録によると曳山祭は慶長年中に始まり、街の発展人口増加に従ってその数を増し、元禄年中に大体現町名が整って、京都の祗園会を彷彿させる神輿二基鉾山十四基による優美な巡行が斎行される様になった。尚この祭礼には代官所並総年寄町年寄等の役人も協力奔走し、又大溝藩主分部候よりも特に鎗二本を出して渡御警護に当る等上下崇敬の厚かったことがわかる。又当社は日吉山王の信仰と深い関わりがあり、山王祭には当社と日吉神社の間に大榊の神事があり、即ち四月三日の夜当社より日吉神社に多数が赴き、日吉の大榊を持ち帰り、これを「しんの御榊」として拝殿に祀っておき、山王祭の四月十四日にこの大榊を引いて再び日吉神社に返す神事で、この大榊が帰って初めて山王七基の神輿が唐崎に神幸するのである。
この大榊の神事は、日吉の祭も白鳳年中より延暦九年までは神輿は無く榊を以て渡御していた名残とする説や、当社の氏子が山王信仰の顕現として夜密かに日吉神を榊に遷して盗み帰り崇拝したもの等種々伝えられるが、これを儀式化した神事である。
明治四十一年神饌幣帛料供進指定
大正四年県社に列格

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