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ひかわくわじんじゃ

氷川鍬神社の御由緒・歴史
埼玉県 上尾駅

ご祭神●豊鍬入姫命
●菅原道真公
●須佐之男命
●稲田姫命
●應神天皇
●木之花開耶姫命
創建時代寛永9年(1632年)
ご由緒

創建は「鍬太神略由来」によりますと、寛永8年(1631年)12月25日、桶川宿の方から童子らが櫃を台車に載せて上尾宿に引いてきて歌い踊り、更に江戸まで送りましたが、12月31日に当宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなりました。この為に、正月になって上尾宿のものが櫃を空けると、中に御幣束と違う形に結びつけてある藁筒と小鍬二挺が入っており、藁筒を開くと稲穂十余茎がありました。そこで社を建立して小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたと伝えられております。神体である鍬は五穀守護の豊鍬入姫命で、稲穂を御小稲と称して播いて種を増やし、庶人に分けられております。
余談ですが、この創建の由来は、現在社頭で授与する小絵馬にて再現されております。
当社境内の雲室上人生祠碑や二賢堂碑によりますと、天命8年(1788年)上尾宿山崎武平次は、江戸から雲室上人を招き宿内に郷学聚正義塾を開設しました。学舎には二人の賢人である公菅原道真と朱子を祀り、林大学頭信徴筆の二賢堂の額を掲げて、近郷子弟の学問所としたことが記載されています。
(HPより)

歴史
歴史[編集] 伝説によれば、寛永8年(1631年)桶川宿方より来た童子が引いていた櫃が上尾宿本陣前で動かなくなり、童子はいずこかへ消え失せた。 翌正月に櫃を開けてみると、鍬2本と稲穂があり、鍬2本を神体として本陣前に社を建立して祀ったのが創建の経緯と伝えられる[1]。 稲穂は「御子稲」と称し、種を増やして庶民に分け与えた。 長く、御鍬太神宮(おくわだいじんぐう)と呼ばれてきたが、明治41年(1908年)上尾村総鎮守の氷川神社から女体社を合祀し、現社名となった。 ^ 「上尾宿」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ146足立郡ノ12、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/32。 ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報氷川鍬神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E9%8D%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98161961

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