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氷川鍬神社ではいただけません
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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

社務所前に1、2台とめられるスペースあり

おすすめの投稿

断捨離
2023年04月10日(月)
1278投稿

街中にあり、ビルに囲まれた近代的な建物です。
上尾宿の総鎮守だったそうです。
時代の移り変わりをずっと見守ってきたと思うと感慨深いものがあります。

氷川鍬神社(埼玉県)

ビルの谷間の桜はなんだか健気で美しい

氷川鍬神社(埼玉県)
氷川鍬神社(埼玉県)
氷川鍬神社(埼玉県)

ニ賢堂と言う、郷学の学舎あとなんですって!
初めて聞きました。

氷川鍬神社(埼玉県)

浅間大神

氷川鍬神社(埼玉県)

こちらは聖徳太子がお祀りされています。

氷川鍬神社(埼玉県)

うっすら聖徳太子のお姿が見えます

氷川鍬神社(埼玉県)

さりげなく、野花が飾ってあります。
粋ですね!

氷川鍬神社(埼玉県)
氷川鍬神社の本殿

拝殿

氷川鍬神社(埼玉県)

願い石
さすってお願いしました?

氷川鍬神社の建物その他
氷川鍬神社(埼玉県)

本殿裏に駐車場が3台分あります。

氷川鍬神社(埼玉県)
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keokeo˚✧₊⁎
2022年06月19日(日)
1579投稿

お参りして御朱印をいただきました。

氷川鍬神社の鳥居

鳥居

氷川鍬神社の建物その他

神楽殿

氷川鍬神社(埼玉県)

境内社 浅間社

氷川鍬神社の手水

手水

氷川鍬神社(埼玉県)
氷川鍬神社の本殿

拝殿

氷川鍬神社(埼玉県)

拝殿

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歴史

創建は「鍬太神略由来」によりますと、寛永8年(1631年)12月25日、桶川宿の方から童子らが櫃を台車に載せて上尾宿に引いてきて歌い踊り、更に江戸まで送りましたが、12月31日に当宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなりました。この為に、正月になって上尾宿のものが櫃を空けると、中に御幣束と違う形に結びつけてある藁筒と小鍬二挺が入っており、藁筒を開くと稲穂十余茎がありました。そこで社を建立して小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたと伝えられております。神体である鍬は五穀守護の豊鍬入姫命で、稲穂を御小稲と称して播いて種を増やし、庶人に分けられております。
余談ですが、この創建の由来は、現在社頭で授与する小絵馬にて再現されております。
当社境内の雲室上人生祠碑や二賢堂碑によりますと、天命8年(1788年)上尾宿山崎武平次は、江戸から雲室上人を招き宿内に郷学聚正義塾を開設しました。学舎には二人の賢人である公菅原道真と朱子を祀り、林大学頭信徴筆の二賢堂の額を掲げて、近郷子弟の学問所としたことが記載されています。
(HPより)

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名称氷川鍬神社
読み方ひかわくわじんじゃ
通称お鍬さま
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神●豊鍬入姫命
●菅原道真公
●須佐之男命
●稲田姫命
●應神天皇
●木之花開耶姫命
創建時代寛永9年(1632年)
ご由緒

創建は「鍬太神略由来」によりますと、寛永8年(1631年)12月25日、桶川宿の方から童子らが櫃を台車に載せて上尾宿に引いてきて歌い踊り、更に江戸まで送りましたが、12月31日に当宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなりました。この為に、正月になって上尾宿のものが櫃を空けると、中に御幣束と違う形に結びつけてある藁筒と小鍬二挺が入っており、藁筒を開くと稲穂十余茎がありました。そこで社を建立して小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたと伝えられております。神体である鍬は五穀守護の豊鍬入姫命で、稲穂を御小稲と称して播いて種を増やし、庶人に分けられております。
余談ですが、この創建の由来は、現在社頭で授与する小絵馬にて再現されております。
当社境内の雲室上人生祠碑や二賢堂碑によりますと、天命8年(1788年)上尾宿山崎武平次は、江戸から雲室上人を招き宿内に郷学聚正義塾を開設しました。学舎には二人の賢人である公菅原道真と朱子を祀り、林大学頭信徴筆の二賢堂の額を掲げて、近郷子弟の学問所としたことが記載されています。
(HPより)

体験おみくじ絵馬御朱印お守り

Wikipediaからの引用

概要
氷川鍬神社(ひかわくわじんじゃ)は埼玉県上尾市にある神社である。 上尾宿の鎮守で、地元では「お鍬さま」と呼ばれて親しまれている。旧社格は村社。
歴史
歴史[編集] 伝説によれば、寛永8年(1631年)桶川宿方より来た童子が引いていた櫃が上尾宿本陣前で動かなくなり、童子はいずこかへ消え失せた。 翌正月に櫃を開けてみると、鍬2本と稲穂があり、鍬2本を神体として本陣前に社を建立して祀ったのが創建の経緯と伝えられる[1]。 稲穂は「御子稲」と称し、種を増やして庶民に分け与えた。 長く、御鍬太神宮(おくわだいじんぐう)と呼ばれてきたが、明治41年(1908年)上尾村総鎮守の氷川神社から女体社を合祀し、現社名となった。 ^ 「上尾宿」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ146足立郡ノ12、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/32。 ...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 高崎線上尾駅から徒歩3分
行事
祭事・年中行事[編集] 上尾夏まつり 元々は7月15日に例大祭・祇園祭が行われていた。現在は7月14日に近い週末に市民まつりとして行われている。駅前での山車引き回しや神輿渡御が行われる。
引用元情報氷川鍬神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E9%8D%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98161961

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