いなりじんじゃ
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稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月05日(日)
参拝:2020年11月吉日
稲荷神社(上里町)は、埼玉県児玉郡上里町八町河原にある神社。旧社格は村社。祭神は倉稲魂命(うかのみたま)ほか10柱。
創建年代は、『児玉郡誌』によると宝徳年間(1449年~1452年)、『郡村誌』によると天文年間(1532年~1555年)、『風土記稿』によると天正年間(1573年~1592年)とそれぞれ記載されており、遅くとも中世後期となっている。鎮座地については『郡村誌』によると、かつては烏川のほとりにあったが、江戸時代末期1859年の洪水により社地が崩潰し、本村中央に仮宮建立遷座と記載がある。本殿に奉安されている神璽筥(しんじばこ)から、京都の伏見稲荷神社から拝受したことが分かる。明治時代の1907年に近隣の八幡神社、水神社、白山神社、境内の神明、愛宕、琴平、北野の各神社を合祀している。
当社は、JR高崎線・神保原駅の北北東2kmほどの平地、利根川の支流・烏川の河川敷南側で、畑が広がる農耕地帯の中の住宅がゆるく集まっている場所にある。境内も社殿も小さくコンパクトで、そのまんま<村の鎮守>。
今回は、武蔵國の式内論社であると勘違いをして参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外に参拝者は一人も見かけなかった。
※『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今木青八坂稲実荒御魂神社 小」の論社である「稲荷神社」と勘違いしたが、その「稲荷神社」は「阿保神社」に合祀されていた。間違って参拝したものの、500年の歴史がある雰囲気の良い神社だった。
創建年代は、『児玉郡誌』によると宝徳年間(1449年~1452年)、『郡村誌』によると天文年間(1532年~1555年)、『風土記稿』によると天正年間(1573年~1592年)とそれぞれ記載されており、遅くとも中世後期となっている。鎮座地については『郡村誌』によると、かつては烏川のほとりにあったが、江戸時代末期1859年の洪水により社地が崩潰し、本村中央に仮宮建立遷座と記載がある。本殿に奉安されている神璽筥(しんじばこ)から、京都の伏見稲荷神社から拝受したことが分かる。明治時代の1907年に近隣の八幡神社、水神社、白山神社、境内の神明、愛宕、琴平、北野の各神社を合祀している。
当社は、JR高崎線・神保原駅の北北東2kmほどの平地、利根川の支流・烏川の河川敷南側で、畑が広がる農耕地帯の中の住宅がゆるく集まっている場所にある。境内も社殿も小さくコンパクトで、そのまんま<村の鎮守>。
今回は、武蔵國の式内論社であると勘違いをして参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外に参拝者は一人も見かけなかった。
※『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今木青八坂稲実荒御魂神社 小」の論社である「稲荷神社」と勘違いしたが、その「稲荷神社」は「阿保神社」に合祀されていた。間違って参拝したものの、500年の歴史がある雰囲気の良い神社だった。
境内東端入口から境内全景。塀や壁に囲まれていないので広々としている。
こちらが珍しい円柱形の<社号標>。
境内入口の<鳥居>。鳥居からまっすぐ参道が伸びて社殿に至る。極めてオーソドックスな形式が心地良い。
参道左側の<手水舎>。真っ赤なトタン葺屋根にしっかりした柱脚。
<拝殿>遠景。石垣の上に建っている。
<拝殿>全景。昭和の瓦葺、彫刻なし、彩色なし、扁額なしで極めてシンプル。旧村社らしいサイズ感。
<拝殿>内部。古めかしいが、きれいにされている。
<社殿>全景。拝殿後ろの<本殿>も瓦葺の覆屋。
拝殿の右側に立派な巨木。当社の歴史の長さを無言で伝えてくれる。枝葉はかなり元気。
巨木の位置から社殿全体を眺めると、樹木による<包まれ感>が絶妙に良い。数百年前の庭師のセンスの良さのおかげかな。
古木の根元にある石製小祠。古木には注連縄が掛かっているので、こちらが<御神木>かな。
最後に境内全景。社殿周りの樹木が、社殿を優しく包み込んでいるように見える。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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